信仰心の無いお四国回り・土佐の巻(4)32番札所・善師峰寺 | 愚行日記

愚行日記

屋島狸の日々の愚行の写真日記です。

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次は29番札所国分寺ですが、屋島狸の宿泊地の都合で32番札所善師峰寺へ行きました。今日最後の札所回りになります。善師峰寺も眺めの良い高台にありますが、お寺まで車で行けて楽チンでした。

不動明王様が立っている背には、自然に出来た波模様の岩があり、堂々たる物でした。そして本堂へ行き、ご本尊の十一面観世音菩薩様にご挨拶を申し上げます。南無大師遍照金剛....合掌。

屋島狸は、これしか知らないのです。次に大師堂に行き、ここでも遍照金剛大師様にご挨拶を申し上げま
す。南無大師遍照金剛....合掌。

なお余談ですが、この善師峰寺のように、ご本尊様やお大師様を拝観させて頂ける札所はありがたいと思うのですが、札所の中には、本堂の扉を固く閉ざし、本堂の扉の隙間から本尊様を拝めないようにしているお寺もあります。

四国八十八ヶ所のお寺は、年間1億円もの納経収入があるのだから、お寺の住職は参拝客の有り難さを十分に理解して、参拝客にご本尊を公開すべきと屋島狸は思っているのです。

お寺の住職は仏様に仕えることにより生活が成り立っているのです。その仏様を支えているのは参拝客なのです。つまり、屋島狸流の三段論法によると、お寺の住職の生活は参拝客によって成り立っているのです。

お寺の住職は仏様を大切にすると共に参拝客を大切にしなければならないのです。

こんな簡単な事がわからない住職がお説教をするというのですから、住職と言う職業は落語家以上に面白い職業だと思っています。

まぁ、こんな事を書くから、屋島狸は住職からバチアタリと呼ばれるかも....??? そして閻魔様によって、地獄に落とされると言われそうです。

でも心配要りません。またまた屋島狸流の我田引水の論法、つまり「般若波羅蜜多心経」によりますと、屋島狸の願いは一切衆上を救う観音菩薩様に聞き届けられ、彼岸にたどり着けると書かれています。

どうでも良いけど、地獄も極楽も彼岸と言われるあの世も、神も仏も、すべて人間の作った架空のお話。こんな架空のお話に振り回されては、自分自身の生き方が出来ません。こんな事を言うから、やはり屋島狸はバチアタリかも??? アハハ