賞は登竜門として無名の人に与えるべき  | 預言者のコラム2

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芥川賞、直木賞が毎年選ばれますが、本屋大賞=本屋の店員さんが選ぶベストな本のノミネートにジャニーズの加藤なにがしが選ばれたといいますが、

私としてはこのような賞は無名の人に与えるべきであると思うのです。
又吉が受賞した時も感じましたが、既に有名で名声も金もある人に与えるのではなく、無名の人のこれからの足掛かりとなるためのものとすべきだと思うのです。

有名な人たちは喰うに困っているわけではありません。
しかし無名の人たちは必死です。彼らの中から選び、選出するというのが本来の賞の在り方であると私は思います。
もちろん、才能がなく、面白くなかったらいけませんが、無名のその他多数の中に必ずスターはいるはずなのです。

彼らは文筆のみに人生を賭けており、それだけのために骨身を削っているわけです。
そのような人たちから新たな才能を見つけるということをして欲しいと思うのです。


映画監督でも黒沢などは「映画を除いたら自分には何も残らない」と言っていました。ヒッチコックも。
そのような人たちが映画を作るべきで、俳優や芸人が遊び半分に首を突っ込むべきではないと私は考えます。

件の加藤なにがしがジャニーズ事務所もタレントも辞め、文筆のみに専念するというなら良いでしょう。
さだまさしも音楽を捨て、文筆に人生をかけるなら本を出しても良いでしょう。


要するに、私は世界というものが不平等であることに憤っているわけです。
一部の人間たちのみに名声と金が行くこと。
テレビタレントなどもそうです。非常に偏った選出が成されています。

才能がない馬の骨を出せと言っているのではありません。才能があり、一生懸命な人たちを採用してやれ、と言っているのです。

テレビでも、映画界でも、文芸界でも。
そして賞というのは、特に、芥川とか直木賞とか、本屋大賞とか、その類のものはもっと社会の顔として、そのようになって欲しいと思うわけです。