サムエル記の 預言者ナタン | 預言者のコラム2

預言者のコラム2

俗言ではなく、預言者の視点から哲学、
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「サムエル記」
ダビデとバト・シェバのエピソード

ダビデは戦争中、出兵しないで王宮に留まっている。その時、美しい女が水浴びをしているのを見てしまう。彼は女が欲しくなり王の特権で抱いてしまう。しかし女には旦那がいることを知り、ダビデはその旦那を謀殺してしまう。
女の旦那はダビデの部下であったので、激戦地に敢えて送り込み、故意に戦死させてしまったのだ。
これに怒ったのが預言者ナタン

彼の言葉

ここに1頭の雌羊を自分の娘のようにかわいがっている男がいる。隣には無数の羊を飼う男。その男はある日、客をもてなすため羊を屠ることにする。しかし彼はケチで、隣の男の雌羊を殺して客にふるまってしまった。
男の悲しみは尋常ではなかった。

これを聞いてダビデは怒る。その金持ちの男は処刑されるべきだと。
しかし、預言者ナタンは言う。「その金持ちの男はあなたではありませんか」




どうですか、現代社会のようではありませんか。

金持ちは貧しいものから取り上げ、貧しい者は持つものがなくなる。
現代の失業者問題だ。
これは金持ちが貧しい者から巻き上げている図式でもあるのです。

金持ちは限りなく金持ち、貧乏人は仕事すら与えられない。
だからイエスは「金持ちが神の王国に入るのはラクダが針の穴を通り抜けるより難しい」と言ったのです。

不況の世の中、自分さえよければいい、と言っている金持ちは罪人だからです。
そして社会の歪みでもあります。
~その結果が、現在の日本国全体の凋落です。

しかし、ダビデの話しは続きます。

ダビデが自分の犯した罪に気づき、激しく反省したのを見て、ナタンはこう続けるのです。
「あなたは死ぬことはない。(彼は人を殺したのだから、死の運命が本来ならあるはず)しかし、その代わりにあなたに生まれる息子は死ぬだろう」

ここにはいくつかの教訓があります。

・まず、「反省すれば許される」場合もあるということ。

人間は犯した罪に対し、開き直ってはなりません。
神の前に謙虚になり、反省し、以降繰り返さないようにする決心が必要です。
そうすれば運命を覆せるかもしれないということです。

特に、私が言いたいのは、多くの人間が過去生で殺人を犯しています。
もしかしたら今生が危ないかもしれない、と考えることも出来るわけです。
ではどうすればいいか。

ダビデのように激しく反省し、罪とは反対のこと善行を積み重ねることです。
そうすれば、「死なない」で済むであろう、ということなのです。

・しかし身代わりに亡くなるケースもある

物語はまだ続きます。
ナタンが言ったようにダビデの息子は亡くなるのです。

これも我々にある真実を語っているのです。
それは、殺人を負っている人間の身代わりに、その人の家族が亡くなる可能性もある、ということです。
これは事実なのです。

なぜなら大きな負のカルマを負っている人が大手を振って長生きしているケースが見られるからです。

何と恐ろしいことか、とお思いになったかもしれません。
しかし、世の中の摂理を垣間見ることは時には必要であり、学びとは本来このようなことを言うのです。
決して東大やケンブリッジに入るような試験問題ばかりが「知恵」や「学び」ではないわけです。

そして、ではこのような事態を回避するにはどうしたらいいのか、ということになるわけですが、やはり、それも「激しく反省し、謙虚になり、罪とは逆の行い~善行をする」ということに他ならないのです。

それも個人で差がありますが、ある種の人々は、医師や看護師になり人の命を救う、ということまでしなければならない人々もいます。
でもそれがその人々本人を救うことになるのです。

そしてもし、その人生プロジェクトがうまく行ったとして、その人はその人生を切り抜けるわけです。するとその魂はどうなるのか? 

その魂はその人生での行いに応じて、カルマから借金が差し引かれることになるのです。
そして来世には当人は先送りにしたカルマを支払うことになるわけです。

それが果たしてどれほどの大きさかは、知りえないところです。
しかし、良いことを行なって損になるということは決してないでしょう。
それは今、生きている間にも自身の心を明るくするという効能を示すに違いないのです。



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