一時外出も面会も禁止になってまもなく一年。
毎週末帰れていた家族の元へ
突如帰れないどころか、面会すら禁止になってからの半年後
病院の配慮でスタートした
オンライン面会1度目・2度目の頃の母は
1分と椅子に座れないほどになっていました。
「じっとしていられないのよ。。。」と
自分のコントロールが効かないことを嘆いていました。。
病院でも、毎日毎日1日中廊下を歩いていたそうです。
辛さを言葉にして吐き出す事をしない性格は
「仕方のない」現実を理解しながらも
辛くて淋しくて、それでも我儘を言ってもしかたないと思う性格は
「そんなに頑張らなくていいんだよ。。」と
声をかけてくれる看護士さんに対して決まって
(大丈夫。)としか答えないとか。
転倒の危険のあるその,母の行動を
強いお薬で止める事も選ぶ事も出来るであろう
お世話になっている今の病院は、13年になろうとしている母との関わりとの時間の中で
母の普段の真面目さからくる不器用さやギリギリでも我慢する性格を掴んでくださり
また、13年毎週末通う私たち家族の姿に対しても
いつのまにか顔馴染みになったがゆえなのか
人にしか生まれないであろう「情」の様なものを感じられただただ感謝しかありません。
それが良いか悪いかは別として
やはり大切な命を預け、守ってくれている看護士さんがどんな風に母を受け止めていてくれるかを知れることは、選べぬことだからこそ,大きな安堵感にもなり、恐怖にもなります。
今より強いお薬で眠らせ副作用を心配するより
歩くことで辛い気持ちが少しでも逃せるなら
私たちが見守りますねと言ってくださいました。
そして、あれからまもなく一年になる
今日4度目のオンライン面会
母は、今の病院の生活環境に慣れてきたのか
約、7分間椅子に座り、落ち着いて話をすることが出来ました。年末年始のこと。私達の近況。
必要なものはないか。体調はどうか。など。
はじめて聞いた、年末の2度の食事中の危険。
もう,2ヶ月前から「軟食」になっているという。
面会禁止の前には、一緒に天ぷらざる蕎麦を「美味しいね」と食べられていた母の今の、その現実をサラッと語られた会話から受け止めるのは頭が追いつきませんでした。
それでも、こんな時だからこそ
誤嚥からの肺炎や窒息などの危険を考えての食事変更への配慮には感謝しなければだし
なにより母がそれを受け止めて過ごしてくれている姿に頭が上がらない気持ちになります。
落ち着いて話す,母の姿に
どこか「覚悟」を感じずにいられないのは
きっと気のせいなどではないと感じています。
夢の中に現れた母は,凛とした優しい顔で
はっきりと私に「元気でね。。」と言いました。
そして背を向け歩き始めたその頬からは大粒の涙が溢れていました。涙で歪む顔を隠す様に消えていく姿に、大声で叫び目が覚め
どれだけ私の本心が、老いゆく母と一緒に過ごしてあげたいと願っているのかを思い知りました。
だから、そんな気持ちが近くにいるお年寄りを引き寄せるのだろうことにも気付いてみたり。
本当にしたいこと。
それでもできないことがあります。
自分の感情だけで突っ走ることが
大切なものを守れない事もある。
だからこそ、せめて、できることを全力以上にやり尽くしたい。
それは、懺悔かもしれないし
自分への言い訳かもしれない。逃げかもしれない。
けど、それでも
強い母の生き様に・子を思う深い愛に
恥ずかしくない生き方を
そして、素直に感情を外に表現することの大切さを教えてくれた母へ感謝を込めて私も生きます。
たまには、こんな投稿も
さまざまな人生のかけらのひとつとして
お許しくださいね。