⭐️やさしさ通心…No.724 | yasashisatuushinのブログ

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心に栄養補給を!!
週に一度は良いお話で、心をリセットしましょう。(笑)
毎週土曜日の午前10時に配信しています。

2024年1月27日(土)

 

おはようございます。

 

毎日大変寒い日が続いていますが、昨日は春の選抜高校野球の出場校も発表され、春は一歩ずつ近づいていますね。

そして、その今年の選抜に、私の母校が16年振りに出場するということで、大変楽しみにしております。

 

ところで、今週24日にブルーリボン裁判の判決が大阪高等裁判所であり、報道でご存知の方も多いと思いますが、「北朝鮮人権法」を無視した、とんでもない判決が下されました。

 

「何でブルーリボンを着けることが法定の秩序を乱すんや!」「裁判官、あんたは日本人か?」と問いたくなるほどの怒りを覚えましたが、

まずは、今の日本の司法が、このような現実であることを、心ある多くの日本人に知って頂きたいと思います。

 

さて、そんな日本人より日本思いの世界一の親日国と言えば台湾ですが、その台湾の人々から東日本大震災時には合計253億円もの寄付が、そして今回の能登半島地震に対しても、既に25億円もの寄付が寄せられているそうです。

 

日本人の一人として感謝しかありません。本当に有り難いことですね。

 

そして、その台湾が親日国になった理由は、戦前の日本統治時代に、多くの日本人たちが台湾発展のために寄与したことが理由ですが、

その中でも一番は、台湾一大きい平野でありながら、水事情が悪くほとんど作物が穫れない嘉南(かなん)平野を、

当時東洋一と言われた大規模ダム、烏山頭(うさんとう)ダムを作り、大穀倉地帯に変えた土木技師 八田與一(はった よいち)だと思います。

 

※この八田與一のお話は、やさしさ通心の小冊子③、第4話で詳しくご紹介しております。

 

今朝は、その八田與一の妻 外代樹のお話をご紹介させて頂きます。

 

『夫に殉じ台湾のダム守る妻』

         八田外代樹(はった とよき)

 

台湾で今も愛され続けている日本人がいる。

戦前に東洋一の烏山頭(うさんとう)ダムを建設、荒野を※沃野(よくや)に変えた技師、八田與一だ。

※沃野=地味のよく肥えた平野

 

彼を陰で支え、8人の子を育てた妻・外代樹もまた現地の人々の手で、夫同様に銅像に象(かたど)られ、湖畔に佇(たたず)みダムを見守っている。

 

外代樹は明治34(1901)年、石川県金沢市の医師・米村吉太郎の長女として誕生し、県立金沢第一高女へ進学。

 

成績優秀で卒業時には、最優秀者として第16代藩主、前田俊為(まえだ としなり)から表彰された。

 

その4ヶ月後、台湾総督府の土木技師、與一(31歳)との見合いが持たれ、16歳の外代樹は驚く。

 

父は乗り気で、母は猛反対。彼女は三日間寝ずに考えた末、結婚を承諾した。

 

父を信じたからで、15歳の年齢差は気にならず、慌ただしく婚礼がもたれた。

 

新婚旅行から戻り、女中と3人で神戸から出向し、台湾へ向かった。

 

基隆港(キールンコウ)に上陸し、車で台北市(タイペイシ)へ。以後、彼女は2男6女の子宝に恵まれた。

 

その間、與一は荒野に分け入って調査、立案した未曾有(みぞう)のダム建設に着手、総責任者として難工事に悪戦苦闘。

 

大正11(1922)年、與一が単身赴任を告げると、「危険な所に一人では行かせません。『仕事は家族単位でうまくいく』が、あなたの口癖でしょ」と、工事本部が置かれた嘉義(かぎ)に一家で引っ越し、文字通り苦楽を共にする。

 

10ヵ月後、一家を奈落の底に突き落とす大事故が発生。トンネル掘削中にガス爆発して50名以上が犠牲に。

 

その日から與一は現場に泊まり込み、事故処理に没頭。

 

遺族へ謝罪して回り、総督府から工事中止の声が出、憔悴(しょうすい)しきって、久しぶりに帰った夫を見て外代樹は驚く。

 

仕事に口出すことがなかった外代樹から、「農民のための事業を止めたら、亡くなられた人たちは浮かばれないのでは」と言われ、また「ダム完成が一番の供養」との遺族らの声に奮い立ち、與一は工事を再開した。

 

ダムが完成すると與一はまず、134名にも及んだ※殉職者(じゅんしょくしゃ)全員の名前を刻む慰霊碑を建立。

※殉職者=職務中に死亡した者

 

その12年後、外代樹に悲しみが襲う。昭和17(1942)年、フィリピンの水利調査に向かう與一の乗船が、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で與一は殉職し、ダムの側に葬られた。

 

日本が敗戦した昭和20(1945)年9月1日、外代樹はダムに※入水(じゅすい)した。

※入水=水中に飛び込んで自殺すること。

 

44歳で逝(い)ったこの日は、ダム工事着工記念日。

彼女は生前、「身を捧(ささ)げ※祭物(さいもつ)となり、烏山頭ダムを永遠に守護します」と、亡き夫に誓っていた。

※祭物=祭祀の時、神前に供える物品

 

台湾の人々は毎年、八田夫妻の※遺徳(いとく)に感謝し、慰霊追悼式を行い、その度に歌う歌がある。

※遺徳=死後にまで残るその人の人徳

 

「夕べ烏山(うさん)の湖水に

 八田夫妻が偲(しの)ばるる

 遥(はる)か彼方(かなた)の清き流れ

 嘉南(かなん)平野の守り神…」

 

【大和撫子列伝/和ORLD(ワールド)令和5年 V O L.6】より