前回からのつづき。
茶をして得られるものとは何か。
外の時間から少し離れて、自分の心に問い、その心を表現し、感じる何か。その何かから感じたり、考えたり……自分にとっての心地良いサイクルのようなものが育まれていくのではについてのお話。―後半
茶の湯には、長い歴史の中で整え、大事に受け渡されてきた点前/所作という名の型というものがあります。この型とは、ただただ存在するわけでも、ただただ手順を覚えるものというわけでもなく、全ての扱いに理由があり、心があります。
型と形の違いとは何か。
型とは、クッキーでいうと、輪郭をかたどる鋳型のようなイメージ。
無論、クッキーの型だけではおいしいクッキーを作ることはできず、それはただの鋳型でしかありませんよね。
おいしいクッキーを完成させるには?
そこに甘くて香り高い生地を流しいれるからこそ、ひとつのクッキーが完成しますよね。
何をもってそんな当たり前なことをと思われたかもしれませんが、この生地たるもの。
それが茶の湯でいう心なんです。
型という名の点前/所作に自らの心、思い、流れゆく血(ち)を込める。
それが「かたち」です。
心なくして、型のみならば、「はい!お待ち!」でいいんです。
乱雑に扱おう、粗末に扱おう、いいんです。
でも、茶の湯は違う。敢えて、目の前で点前/型を見せるのにはちゃんと意味があります。
心、自分の中にある心を見て頂く、お届けする。それも一種の自己表現。
600年という時の中で、多くの先人たちが幾度となく、思いを託してきた型。
その型に今を生きる己の思いを込め、かたちにすることで感じる何か。
点前を終えた時、自分の中で湧き上がる感情。
点前をする前には感じるよしもなかった感覚。
これは、思いを込めてみた本人にしかわからない感覚だったりします。
そういうなんとも言えない、心地の良いサイクルのようなもの
己の心に今を問い、表現し、型を通してかたちを感じ、心を感じ、何かを思ったり、感じたり……そういうものが育まれていくんじゃないかなと思っています。