「大学」で学んだお金の話。全ての経験が糧になる♡

「大学」で学んだお金の話。全ての経験が糧になる。②

 

続きです。

 

なんとか

2年生前期の授業料を納め

ホッとしていた頃、

奨学金をもう一口申請した。

両親の離婚が

決まって

大学を辞めざるをえない

となった時

「学生課」に泣きついて

何か方法はないか

聞きに行ったのだ。

「今はないが、

春にまた奨学金の募集がある。

そこでもう一口申請する

方法がないわけではないが

通るかどうかはわからない」

というもの。

無利子の

奨学金を申請し

(その頃から、有利子は勿体無いと思ってたんだな)

なんと、通ったのだ。

母子家庭さまさまだ。

前回は母子家庭でなかったから

有利子しか通らなかった。

無利子で借りれるのだから

有利子を停止させようとすると

すぐに返済が必要になるとのこと。

そのため金額を

5万円から3万円に変更して

借り続けることにした。

 

・無利子 5万円

・有利子 3万円

合計8万円の奨学金をもらえば

年間100万の授業料は

奨学金だけで

カバーできる。

 

私は高揚感に震えた。

「借金」ではあるが

「大学」に通い続ける

ことが

親の金をあてにしなくても

できるのだ。

学生課に交渉したことで

動かなくては

何も変えられないことを学んだ。

 

「あてにすると

馬鹿を見るよ」

母の言葉を

身を以て知った私は

それ以降は

父を全くあてにしなくなっていた。

忙しすぎて

存在すら忘れていたくらいだ。

 

今思っても

美しいほどだ。

親を恨んで

拗ねていてもよかった。

大学を辞めてもよかった。

でも

なぜか「大学」を

続けることを選び

恥を捨てて交渉し

休む間もなく働いた。

 

初めて

「お金」を回す

勉強をしたのだ。

奨学金は

「自分」が担保だ。

将来20年かけて

返済することを

約束する。

家庭の内情は考慮されただろうが

私の「大学へ通いたい」という

思いが

担保になるのだ。

 

借金であろうが

稼ぎであろうが

親からの投資であろうが

自分が意図したものには

力が宿る。

 

「お金」を回す

ことを

体験させられた感じだ。

きっと

父が用意してくれていたら

ここまで

自分の力を信じ

発揮することができなかった。

 

 

私の大学は

福祉系で

社会福祉士になるつもりだった。

今はわからないが

社会福祉士は当時

福祉界の花形。

国家資格で

合格率30%弱。

知的障害者施設に就職して

1年目に

ようやく取得したのだ。

がしかし、

福祉という

世界は

私には

全く合わず、

3年半で足を洗っている。

シングルマザーになってから

3ヶ月ほど医療ソーシャルワーカーをしたが

やはり、全く合わず

早々退職したのだ。

 

ということは

この先、生かすことがなければ

4年弱のために

350万の借金をしたのだ。

(もっと言えば知的障害者の職員は

当時、無資格でできたのだから

必要なかった経験かもしれない。)

 

やっぱりそうなんだ。

私は、「お金」の学びのために

大学へ行ったのだ。

そして

両親を頼れないところから

活路を見出すという体験ができたのだ。

 

それは

今持って

いい経験だ。

人は窮地に立たされると

必ず動き出す。

新しい経験を呼ぶ。

 

だから

こうすると

望むんだ。

 

すると

「じゃあどうする」と

動き出す。

 

今言葉にしたいことを

学生時代に

経験的に学んでいた。

学生の頃流行ったスターバックス。「メニューを上から下まで試したい」と思った私は

やってみたんだ。お金もない、近くにスタバもない中時間をかけて制覇したことを思い出す♡

 

続きます