義父を看取ったあと、がん闘病の大変さに、なにか公的な支援が利用できないものか、これからのために調べておこうと思い、あれこれと動くうちに、自分が援助者になることになってしまいました。

 

重度の障害児のお母さんががんになり、入院中のお洗濯が困るので、有償ボランティアの制度を利用したいと。

 

派遣元の団体の役員が、がんの人が利用されるのは初めて、がん患者は接したことがないから怖い、って言うんですよ、信じられないけれど本当の話。

 

そこから、退院後の生活支援、お子さんの養護学級の付き添いなど、数年にわたり支援に入りました。

 

わたしの他にもうひとり、実父さんをがんで亡くした方と日替わりで、お掃除や食事の支度、買い物代行。

 

当初は、ママ友さんたちも支援を申し出てくれていたのですが、だんだん重荷になっていったのか、人の出入りもなくなって。

 

わたし自身も、立場上またルール上、出来ることが限られるもどかしさもあり、とても苦しく難しい支援でした。

 

彼女との友情があるから、事情をここで書くことはしません。

 

もう出来る治療がない、という状況になった時、駅前で、学生が何かの署名活動をしているのを見て、あなたの寿命を一日ください、って署名活動をやりたかった。

 

1000人なら二年と九か月?そんな計算をしました、おかしいと思うでしょうけど。

 

なにもできないと、そういうことを考えちゃうんです。

 

まーちゃん、元気ですか? 

 

元気?っていうのも変だけど。

 

あの頃、足りないことばっかりで、ごめんね。

 

なんでかな、いま、やっと泣けたよ。