ひとくちに「仕事」といっても、いろいろ。

 

テレビを見ていて、やりたいことを仕事にしている人、たとえば、研究とか、それで一生食べていけるなら、そんないいことはない、って、いつも思っちゃいますね。

 

若い頃、やりたいことはあったんだけど、いろいろあって、やりたいことを仕事にしたことは、ないんです。

 

昨年夏に退職せざるを得なくなった仕事も、アホみたいな組織で、くだらなかった。

 

もちろん、ご縁はとてもありがたく、数パーセントは真実(大げさだけど、ここでは真実と呼ぶ、自分が信じるもののこと)もありました。

 

ある時、高校で、仕事について話して欲しいと頼まれたことがあり(コロナで実現はしなかったし、そんな偉そうなこと、若者に向かって話せるような人間じゃない)、また、組織でも、悩みを聞くことがよくあって、その折に、言っていたのは。

 

「人生の時間で、仕事に費やす時間を計算してみ?ものすごい時間だよ、それを、嫌々やるのか、楽しめるのか、大きな違いだ、だから、楽しめる部分がなかったら、転職するのも悪くない、ましてや、真実を裏切らねばならない仕事を続けるのは問題です。」

 

わたしのように、もうあと定年まで少し、と、割り切れる年齢ならまだしも、これから何十年もある人は。

 

自分の真実を裏切らなければ、道は拓けると思います。

 

今の土地に来るとき、わたしには、何もなかった、それまでの生活を全部整理して、ポンコツの軽自動車ひとつで。

 

でね、自宅の固定電話に、いつも(間違い電話)介護用品を注文してくるおばあちゃん(知らない人)がいて、説明しても耳も遠く、理解してくれないし、留守電に入っていたりもするもんだから、その介護用品の会社に毎回取りついでいたんです、おばあちゃん、電話番号を間違って登録してあるのかなぁ、でもとにかく、オムツが届かないと、その家の人は困っちゃうでしょ。

 

そのおせっかいが、担当者に迷惑がられることもありました、遠回しのクレームと思われたのかな。

 

で、引っ越しの当日、その介護用品の会社に、初めて挨拶に寄ったんです、もう取りつげない、って。

 

そしたら、社長さんが、新規の店を任せたい、って言うんですよ、うちに来ないかって。(辞退)

 

その時、これから行く町にも、きっとわたしを必要とする人がいる、って、とても自信になったんです。

 

もし、授業で仕事について話すとしたら、そんな話をしよっかなぁ、って、考えたりしました。

 

仕事だけじゃない、自分の真実を裏切らないって、とても大事なこと、世間の評価や、社会的成功なんかどうでもいいんです。

 

60数年、恥と失敗でなった縄のような人生だけど、なにか助言できるとしたら、こんなことかなぁ。