今日で、10月も終わりとなる。

ここに来ての秋の長雨、日増しに気温は下がっていく。

朝起きての暖房は当たり前になって来た。気温は17度を下回っているか。もう一寸寒さは遠慮していてもらいたいなと思う今日この頃。

 

 10月は大分天気の良い日が続いたのに体調不良も有って色々好機を逃してしまった。今年は柿すらを収穫する事無く終わりそうだ。一番良い時機を逸してしまったからね。気持ちはあったのだが。今日もそんな事を思うが生憎の雨、ここの所何日も続く昨日の夜にはあられも降るしすっかり冬型の天気になってしまった。

 気が付いたら隣のばあさんはかなりの量の柿をもいでいたような・・・木の下半分の実がほとんど無くなっている。80半ばの老人の仕事とも思えないが、息子でも帰ってきて収穫したのだろうか、私が寝たきりを決め込んでいる間だったか姿を見かける事も無かった。

 我が家の大玉のザクロも収穫してジャムにでもしようと思ったが、どちらも上を見上げるばかりで行動には繋がらなかった。近くに喜んでくれる人が居たりすれば張り合いも違ってくるのだけれども 何せ一人暮らしでは、処理する事に手間が掛かるからついつい二の足を踏んでしまう。

 

 今日は、ハロウィーンだね。この頃ハロウィーンと言えば渋谷の繁華街ばかりがクローズアップされて居るが、数年前から何かとマスコミが取り上げるものだから若者はこぞって渋谷を目指す気持ちになってしまったみたい。大半は東京以外から集まってきているのかも知れない。何か渋谷へ行ったら楽しそうだし一瞬だけ都会の人間になりきってみたい。サッカーのワールドカップの時も同じ感覚なのだろう。集まりさえすれば仮装さえすれば逆にその場所にいる事が当たり前のような感じになってコミュニケーションが取りやすいという側面もある。

 しかし人が大勢集まれば群衆となる、それぞれの目的も違うから質の悪い輩も当然の如く紛れ込んでくる。所詮中身の無い連中ばかりが集まる訳だから雰囲気に飲まれて周囲に迎合しやすいのだと思う。

 

 余り夢を持てない現代の若者達は、刹那的な行動に陥りやすいのかも知れない。ハロウィーンに踊らされて出かけてくる連中は、まだ行動する力があるからましなのかも。

 学歴ばかりが比較される現代においては、ある時期までに社会的格差が付いてしまう。人の価値は様々なのだろうと思うが平和が続いて膠着状態になれば、何かでランク付けが始まってしまう。現代社会において必要なスキルを身につける事が出来ないとなると社会の底辺に追いやられてしまう事にもなる。

 社会に適合するしないでは無く自分を主張する事が苦手な人間は、つい社会との接触を断ってしまう方向に進んでいく。それを仕方なしとして擁護する親が居る事もさらに助長する。繁栄の先にある柔らかな時代の中で全ての問題が出口を見つらけれずに膠着してしまった。

 このような問題が起きるのは基本的には個人の問題ではあるが、静かに深くその数を増やしているのであれば、それは社会問題という事になっていく。社会のひずみの中で生まれる色々な問題は、国家が取り組むべき課題なのだろうと思う。

でもね、対策を立てるべき政府の役人は競争社会を勝ち抜いてきたエリートである訳で、どこまで寄り添う事が出来るかという問題でもある。

 

 昔の、盆踊りみたいなものかな。男女が出会う場所を探してそこに集まるというスタイルは、あるいは例えて江戸時代の「ええじゃ無いか」の騒動に似ているという人もいる。若者はいつの時代も訳の分からない衝動に身をまかせやすいものだし、エネルギーの捌け口を求めている。ただ存在の軽さというものの中にいる事が言いようも無く憤ってしまっている時代だと思う。しかし普段の生活の中では簡単に昇華できない。つい大勢が集まるとその中に紛れて暴発するのだろう。