また雨です。

どうもここの所、雨が多い。私の畑作業が滞る。

驚いた事に、今朝の天気は洪水の警報。朝の列車は運休だと広報無線が呼びかける。

毎年こんなだったかなと思うが、年々によって天気の傾向がある。昨年は雨が少なかったような、だから雨が来るタイミングで畑作業を進行させてたような気がする。

 

 最近自分の畑よりも、公共の仕事の方を優先させる事になっている、時間に追われタイミングに追われ。だからついつい畑仕事の掛かりが遅くなってしまう。どっちも大事なのだが畑は天気に左右される事が多いので延び延びにさせてしまっている。

隣は、相も変わらず着々と作業を進める。雪消えから同じくらいに始めた作業も、半月遅れくらいの差になってしまった。

夏野菜を植えた隣の畑には、良いあんばいで雨が続く。

 

 私の場合はさあと言う形で佳境に入ろうとすると雨になり出鼻をくじかれる。

畑に出ようとすると、先に隣のばあさんの姿が見えたらするとちょっと億劫になりやめにしてしまう。この辺も遅れるポイントかもね。

 母がしっかりしていた頃、業者から野菜の苗を配達してもらう様頼んでいたが、結構遅く届いていた。それでも母から聞いていたのが5月の20日位までに植えれば大丈夫と言われていたからそこを目標にしながら仕事を調整してきた。

しかし、今年は、間に合うのか。明日あさってが勝負になる、天気が回復すると言う予報だ。しっかり準備しておかないと・・・。

 

 昔、母が同じ位の畑を黙々と一人で作っていた。たまに手伝ってと言われたりする事があったが、自分が責任を持ってやっている訳でも無いから、頼まれ事などは嫌々やって居た様な記憶がある。今は全部が自分の仕事場。シンジラレナイヨー。

あんなにちょっとしか手伝う事が無かったのに、それでもつまらないと思いながら手伝っていた時代がある。

 母がやらなくなった畑を見かねて、見よう見まねで畑を初めてもう10年以上にもなるのだろうか。仕事の量も配分も分かってきた。

季節になると、何をやれば良いのかも分かった。

楽しいと思う事と、つまらないと思う事と色々な思いが津波のように押し寄せてくる、そんな形で一年が過ぎて行く。

 

 以前よりも、世間に関わる事が多くなり、忙しさは増した。本当に必要なのかどうかと疑問視する自分の心。

別に私で無くてもと思うが、その位置や地位に立ってしまうと仕方なしに何をしたら良いのかを考えてしまう。

おざなりに出来ないいつもの自分の意思が働いて、結局はまた別な事まで取り組み始めるから本当に質が悪い。

厄介な事が又々厄介な事を引き寄せていく。

こんな事の連続、死ぬまで治らないかね・・・こんな性格。

 

 評価は、余り気にしないが、結果は気になる。やっぱり気にしてるんじゃ無いかとも思う。

ただあたらしい事にチャレンジすると結果は欲しいよね。誰かの為にあんな風に思う、こんな風に思う。

ちょっとでも誰かの笑顔につながったらそれは嬉しい。そんな思いだけ。不思議だね、どうしてそんな事を思うんだろう。

自分の事だけを思って生きれば、よっぽどそっちの方が楽に生きる事が出来るというのに、何故こんな所まで来ているのか不思議で仕方が無い。

 あれもやりたいこれもやりたい、そんな風に思う。根が欲張りなのかそれとも我が儘なのか。

ここは、好奇心旺盛と言って括っておいた方が良いのかな。

畑も、介護も、区長の仕事も仕方無しで引き受けた。でもやり始めるとベストを探してしまう。今より前に進む為には何がベストなのかを考えて試行錯誤の連続、そこにちょっとだけでも良い答えが見つかって良い結果につながったりすると。、それを教訓にまた次のベストを探し始める。

 商売をやって居たときは、思う事があっても自分一人の力ではなかなか良い答えを出せなかった。商売は常に金が絡む事。自分の経験の中で金が絡む事での成功体験が無かったからなかなかその先には進めなかった。

失敗すると誰かに迷惑がかかる。ましてや投資となれば必ず保証人が必要になる。他人に迷惑をかけてまで自分の意思は通せない。

その辺に痛みを感じない人が、商売で成功するんだと思う。嘘でも良いから強い意志がないと大きな賭は出来ない。しっかりしたベースがあれば結果は付いてくる。自分は商売についての成功体験も無い。経済を学んでもいない。経済は一つのシステムの中の合理性で動いているある種の生き物。それは、叩き上げの職人以外は学ばなければいけない事。役所へ出す書類をどう書くかで悩むようじゃ商売は出来ない。

決まっている答えに躊躇するようじゃね。

だからずっと嫌だなと思っていた、自分の仕事が。戦えない自分に嫌気も差していた。笑顔になれない30年間を必死で子育てしながら生きてきた。

 今は自分の意思で動く事が出来る。動かなければ迷惑もかからない。それじゃあつまらないという事で、誘われるところへは出かけて行く。

それだけで何かが動き出す。

 母の介護を始めた頃から思い始めていた。ずっと介護とか福祉の現場に身を置いていると、あんな風にこんな風にと言う思いが湧いてくる。きっと自分は、この方向に進んでいくんだろうな・・・そんな風に思う事があった。

ただどの様に形になっていくかは解らなかった、こんな年齢になってあたらしいチャレンジなど出来るわけも無いから。

妹のように生きる為に資格を取り続けるなんて事も出来ないから。

 

 何も無いのだけれど、続けてきた事が結局自分を支えている。介護とダンスと役職と・・・。

嫌々始めて必死で歩いてきた、それが私に答えをくれた。苦しみの末にたどり着いた今が私の成功体験なのかも知れない。

そんな経験が私に自信を持たせている。ほんとに金にはならない。元々縁の無い体質だから仕方が無いが・・・。

だからこそ素直な気持ちで人と接する事が出来るのだと言う事が判ってくる。

 見返りを求める事無く蓄積されていく人生の時間。それでもふと思う事が、母を迎えに、デイサービスの職員が来る運転手は同級生だ。

私はチャラチャラと生きている。彼はしっかり稼いでいる。65歳も超えているというのに。

どうやってこんな仕事に有り付くのかなと思う。コネでもあったのか。そんな風に・・・。同じ時間を生きている全く違う風に、これから先どんな差が生まれるのだろう。

 

またもや、アリとキリギリスの逸話を思い出す。