連休最後の日に始まった、地元の薬師如来の祭礼。

境内清掃から始まる。草取りや公園空き地の清掃。

 

  回覧で参加を募る。出ないと出不足として結構な金額を徴収する。地域が賑やかで活気があった頃の名残り。

そんな時代は、地域の会計も一通り収入が安定していたからほぼこの出不足と言うものはペナルティーの意味合いが強かった。

今は、櫛の歯が抜けるように毎年世帯が消え、住民が減っていく。独居老人世帯なども増えた。今度は出られない家庭から出不足金が高いと苦情が来る、年寄りから金を取るのかと。大変かもしれない、それは分かる。

しかし地域を預かる者とすれば、参加人員が減り収入も減ることになると地域の運営が成り立たない。じゃあ勢い、やることを減らそうかそれとも集落費を値上げして均等負担を増やすかと言う問題が持ち上がる。悩ましいところである。

 

 一生懸命子育てをしてきた世代が取り残されている。漂流しているような感もある。それは私とて同じ事。

多分この国のアキレス腱みたいなものかもしれない。

 大陸なら昔から人の流入が盛んで、景気が良いと人は集まり、景気が悪いと人は去って行く。自由に移動が出来るから混血も進む。そんなものが民族のエネルギーとなる。

 この日本は、周りを海に囲まれていて、よそから来るには命がけで海を渡るしか無かった。海を渡る人は命がけで大陸から技術や物資文献を運んだ。移動しようとするものは元々優秀な人間、日本人の優秀さや勤勉性は、この海の孤島によって守られ民族のDNAとして受け継がれてきたが、日本人という単独性ゆえに文化も特殊な発展を遂げ、混血も進まなかった。よそからの移民を受け入れる素地もあまりない。犯罪の発生率が少ないのは社会の小さな単位である邑の論理が監視社会となっているから。

 

 国が発展するには、人口が多くなければならない。税収や消費者人口がある程度安定していなければ成り立たない。

戦後日本が急成長したのは戦後復興の特需もあったし朝鮮戦争の特需もあった。占領国アメリカの物資の生産拠点になったこの国、技術的に優秀な日本の製品は安い価格でアメリカに輸出された。今はその生産拠点が中国に移り、東南アジアへと広がっている。

 日本から工場が無くなっていく、どこの国にでも置き換えられてしまう生活用品の生産拠点はこの国からどんどん無くなる。

生産性が上がり技術が向上する、労働者の給与が上がれば製品は売れる、労働者自体が購買層になるから。

 

 日本の発展は戦後の労働人口の増加に支えられてきた。そして物価が上がるさらに給与が上がる。そこへアジアの後進国が日本の技術や生産管理システムまでもが供与され生産性と品質を上げるや否や安い製品を作れる様になる。日本の製品は品質は良いが価格が高い。また特殊な発展を遂げているからメーカーはどんどん家電製品の機能を上げて値段をつり上げて行く。それに見合うように価格も上げる。元々日本国内向けな製品だから、輸出には向かない。新興国に必要なものは単純な機能があれば十分だった。余り優秀な機械は作れなかった韓国や台湾などの電化製品は逆に言ったら機能が少ない分だけ安く作ることが出来て、アジア諸国の民のニーズに合っていた。

 

 隣国に、どんどん市場を奪われる格好になる。そして後進国ですら次第に技術も上がる。白物家電は日本から消えた。そして日本にはかつての日本のブランド名をまとった海外資本の日本製品が店頭に並ぶ。

現在の日本は産業が成り立たないから、労働者人口が減る。就職が厳しいから勢い子供の数も減らして高等教育も受けさせなければと思うのが親の防衛本能である。教育費も高騰しているから尚更である。

そこに持ってきて戦後生まれがどんどん労働人口から脱落していく。働き手がいなくなり膨大な福祉予算が消費される。医療制度も転換点に来ている。

 田舎の病院は延命措置を施した患者などは、ドル箱だろうと思うが、意識の向上、健康志向などで患者の総数が減っていってるような気がする。そこに持って来て地方の老人の数がどんどん減少していく、子供の数も減っている。自治体が近隣の総合病院の存続や拡充を願って総決起大会を毎年開くわけだが、患者の数が減れば収支の問題で存続すらおぼつかなくなっていく。医療費負担を減らしたい過疎地自治体と患者数の減少で疲弊していく医療現場がある。どこまで行ってもマッチングは出来ない問題。

結果的に病院の統廃合が進むことになり、遠くの総合病院へ通わなければならなくなる我々世代は、運転免許が取り上げられる時代になったら、生きていくのも死活問題になっていく。

薬師様清掃から端を発した私の医療問題。

 

 健康で生きるしか方法が無くなる世代を、どのように叱咤激励して連れて行くか、今取り組んでいる地域の茶の間の開設も私が思うことによって実現した。

発足以前から私がターゲットになっていた感がある。当地の会は私が先導すれば大丈夫みたいな感覚で行政から捉えられている。

こんな、ひなびた地域に男が率先して高齢女性をボランティアでまとめ上げていくなんて言うのは例が無いだろうね。

誰も厄介なことはしたがらないからそんな風潮は元々ある。得にもならないし。

 

 母の介護から始まった、私の中の意識改革は、色々なものと巡りあって今ひとつの形になろうとしている。

昨日の、第二回のお茶の間会の例会に頼んだ運動指導の担当者は、私をボランティアからインストラクターに仕上げたい意向があると話していた。もう一つの行政の担当者の話として。

 

 一体私は、様々な出会いからどこへ辿り着くんだろう。

区長になって今年で4年、任期最終年となる。次期の事も考え始めているが、恐らく再任されることになるのだろう。そうなると都合8年は頑張ることになる。よそは2年で交代もある中、結局4年の任期は自ずとテーマを持たざるを得なくなるのだろうなと言う実感。私の独特の物の考え方かもしれない。

 いつも、特別な能力を発揮するわけでも無い、私の生き方だから先は見えない、見通せない形で歩んできた。行く先々で出来ることを一生懸命やってきただけ、そこに損得など考えることが無かったからこその信頼みたいなものが醸成されたのだと思う。

不思議なもので地位を得て物事を考えていくと、問題がどこにあって取り組むべきテーマは何なのかが見えてくる。

力は無いが、一つ一つ糸をほぐすように物事に取り組んで行けば、少しくらいは効果が現れて来るかなと思っている。

その程度で良い私の人生は、爪痕など残さなくても。

 

 お薬師さまの信仰に集う人達を、もう一つ違う次元に引き込んでいく。

先日の祭礼の後での直会いの冒頭挨拶で、信仰も大切だが健康も大切、願うばかりでは問題は解決しない、健康と信仰この二足をわらじを履いて是非頑張って頂きたいと地域の茶の間の会員に話した。

その翌日、昨日の参加者は、家を空けられない一人を除いて全員参加、多くのおしゃべりに笑顔があって大変賑やかな会になった。

望んでいた形が少し動き出した。少子化や過疎化は簡単に止められない、でも笑顔で元気で生きて行ければそれでも良しとしよう。

 

もう少し、自分なりに考えていることがあるが、理想の形になるまでは今しばらくかかるかな。