昨日は,朝から地域の共同作業、地域全体で排水路の清掃作業でした。
本当は花見と行きたいところですが、年に一度の大事な作業ですので頑張ってやってきました。
桜も、もう昨日の陽気で散り始めて来ました。本当に咲くまでが楽しみであっと言う間に散り始めるものですね。解かってはいるのに目の前にあると寂しい感じです。
日本人が桜の華やかさで満開をめでると同時に、花弁が変色することなく一枚一枚散る風情に散り際の美しさを賛美するのも良くわかります。
ツバキなどは今満開になっていますが、花弁ごとボトッと落ちるので周りが汚く感じます。
朝の作業開始にに遅れられないため早くから起きていました。母のオムツ替えもあったのでそこからはそのままです。自分の事は自分で管理する独り身の辛いところです。
最近どう言う訳か、携帯程度の目覚まし音量じゃ起きられなくなりまして、そこで便利なのが男性の夜間頻尿・・・良くしたもので一定時間に目が覚めます。そこで起きてしまえば何の事もない。
ただ母の食事だけは、無理やり起こして食べさせる訳にいかないので作業が終わるお昼までそのままでした。時間の観念がない訳ですのでせいぜい喉の渇き程度の物だろうと思います。
どんなに完ぺきな介護でも、死ぬときは死ぬ。どんなに手抜きの介護でも生きる力があれば生きる。そんな程度ですか。
昨日は作業しながら言われたことがあります、立場上そんなに頑張らなくても良いのではと言われましたが、まだ年齢も若いのですから80代の皆さんに協力をお願いしている私が手抜きは出来ない、作業する手数は多いに越したことはないしとにかく単純作業はお互い頑張って気持ちを一つにすることが大切と思ってずっとやってきました。
一緒になって冗談を言いながら楽しく作業することが何よりなのです。気持ちが一つになるといろいろ話も聞けますし、何よりの機会だと思います。
今週末からゴールデンウイークに入りますね。昔は職業柄、結構緊張したものでした。
連休突入前に山を廻って山菜を取溜めたりしてました。天ぷら、あえ物には欠かせませんからね。
今は熊の出没があるから一人ではなかなか山に入れません。遭遇しなくても事故にあったら誰も助けを呼べないので一人ではなかなか行けません。
そういえば、二十歳前ぐらいでしょうか母親と一緒にウドを取に山に行った記憶があります。
かなりの深山でした、峰筋から斜面を降りて行くとそこかしこにウドが生えていてもう取り放題の状況です。母は私より余計に背負ってずんずん斜面を登ってゆきます。私はと言うと慣れない場所で手こずった記憶があります。
昔は、ほかに産業が無い時代炭焼き仕事も大事な副業の一つだった。若い時はそんなことも手伝いながら成長してきたのでしょう。そんな山は母にとって裏山でしたから随分山菜取りにも出かけたでしょうし、庭みたいなものだったかもしれませんね。40年以上も前の話です。
ヨメと結婚した当初、ワラビもゼンマイもただの食べられないシダ類も見分けがつかず笑われたことがあります。カチーンときたんですその時、ホントに嫌味な言い方をする奴だなと思った記憶があります。
当時地元では山菜祭りなどを実施していたので山菜について知識がないと言ったら、二つ上の先輩に良く山に連れて行ってもらいました。自分のテリトリーを敢えて教える先輩は信用できる先輩です、大概自分の良く行く場所は他人には教え無い物ですから、私も信用されていたと思います。結果的に彼の後を継いで出来もしない青年部長をやらされて苦労した思い出があります。何となく信用されて役を受けなけれbならない私の人生、それはそれで無駄ではないのですが、人には言えない苦労がある事も事実なのです。
彼は、40代で亡くなりました。癌でしたが、今生きていたら私の人生の良き友となっていただろうと思うと残念ですね。大切なものは皆、手の中からこぼれ落ちて行きます。
私の血を引いた子供たちには、是非とも健康で長生きをしてもらいたいと思っています。
今週は、ダンスレッスン以外は用事の無い週ですので畑作業頑張りたいと思います。ジャガイモも未だですしせっせと頑張りましょう。
今朝は、時間があるからこれから作業開始です。