週末自然塾でいいシーンが撮影できました。
ヤラセではないです(笑)。
曇天の空模様の中、
果敢に滝で遊ぶシーンです。
滝修行のように頭を突っ込みたいけど、
やっぱりちょっと怖い。
冷たいし、寒いし、音も大きいし、足元は不安定だし、
諸々が未知の領域。
そこで二の足を踏んでいる子ども。
その横に立つ若手ボランティア。
「よし!行けぇ〜!」でもなく、
「行きなさい!」でもなく、
「無理しなくてもいいんだよ」でもなく、
「一緒に行く?」と訊く。
そして、
一歩先には行かずに、
横に立ち、横に並んで一歩を一緒に進む。
さらに、
ほんのちょっと滝に触れただけかもしれないけれど、
そのことを我が事のように喜ぶ。
その後、
他のスタッフが「やった〜、いえーい」とハイタッチする。
その時の子どもの表情がなんともいい!
たった20秒強の出来事ですが、
こういう関わり方、距離感、連携プレーはなかなかできません。
ここからは個人的な想像ですが、
ボランティアの彼はすっごくこの状況を楽しんでいる。
もっと強調して表現すると「今この瞬間を」楽しんでいる。
実はこの前の段階で、彼は他の子どもとも滝で遊んでいて、
すでにかなりびしょ濡れ。おそらく体はかなり冷えているはず。
けれども、そんなことよりも「今この瞬間を」楽しんでいられる。
そういう底力というか気質のようなものがある。
これはきっと自分に「自信」があるからかと思います。
だから、彼の行動は子どもに対して”変な押し付け”を感じない。
だから、子どもの行動も彼に”依存していない”。
こういう時ですね、自己肯定感がぐいっと伸びるのは。
「自己肯定感は遊びのギフト」。
決して、大人が大人の都合で押し付けたりするもんじゃない。
ベーシッククラス担当のもなかが
事後のスタッフミーティングでこんなことを言っていました。
「プログラムの”山場”は、作るものじゃないと思う。
作られた”山場”はちょっと違う気がする」。
まさに、そうです。
大人が意図的に作る場には限界がある。
一連の流れ、今回でいえば、川に沿ってダムを巡り歩いていくプロセスの中で、
子どもと大人、そこにいるメンバーによって、
突発的に、偶発的に、予定不調和のなかで、
起こった出来事が、その子の”山場”になっていく。
ともすれば、
大人が意図的に作った”山場”を押し付けてしまう可能性がある。
キリフリ自然学校のスタイルは、
プログラムに子どもを合わせるのではなく、
子どもにプログラムを合わせていくというもの。
それができるのは、
”変な押し付け”をしない大人がいるからです。
かと言って、
全ての大人がそうかというとそうではなく、
”妙な押し付け”をする大人もいるところがまたいい。
その場、その時、その子どもにフィットする大人の多様性が大事。
だから、連携プレー。
ハイタッチは”妙な押し付け”の典型。
でも、それによって、子どもの表情が、ぱぁっと明るくなる。
横ではなく、正面から受け止めてくれた感がある。
こうやって、
”山場”が生まれていく。