やっぱり、「自己肯定感は遊びのギフト」 | 本やりcafe

本やりcafe

アドベンチャー教育
フロー教育
リテラシー教育の
実践と発信で、
みんながHappyで、
自分でTry-all
できる社会
を目指します。
https://learninglablive.jimdofree.com/

週末自然塾でいいシーンが撮影できました。

ヤラセではないです(笑)。

 

曇天の空模様の中、

果敢に滝で遊ぶシーンです。

 

滝修行のように頭を突っ込みたいけど、

やっぱりちょっと怖い。

冷たいし、寒いし、音も大きいし、足元は不安定だし、

諸々が未知の領域。

そこで二の足を踏んでいる子ども。

その横に立つ若手ボランティア。

 

 

 

「よし!行けぇ〜!」でもなく、

「行きなさい!」でもなく、

「無理しなくてもいいんだよ」でもなく、

「一緒に行く?」と訊く。

そして、

一歩先には行かずに、

横に立ち、横に並んで一歩を一緒に進む。

さらに、

ほんのちょっと滝に触れただけかもしれないけれど、

そのことを我が事のように喜ぶ。

その後、

他のスタッフが「やった〜、いえーい」とハイタッチする。

その時の子どもの表情がなんともいい!

 

たった20秒強の出来事ですが、

こういう関わり方、距離感、連携プレーはなかなかできません。

 

ここからは個人的な想像ですが、

ボランティアの彼はすっごくこの状況を楽しんでいる。

もっと強調して表現すると「今この瞬間を」楽しんでいる。

実はこの前の段階で、彼は他の子どもとも滝で遊んでいて、

すでにかなりびしょ濡れ。おそらく体はかなり冷えているはず。

けれども、そんなことよりも「今この瞬間を」楽しんでいられる。

そういう底力というか気質のようなものがある。

これはきっと自分に「自信」があるからかと思います。

だから、彼の行動は子どもに対して”変な押し付け”を感じない。

だから、子どもの行動も彼に”依存していない”。

こういう時ですね、自己肯定感がぐいっと伸びるのは。

「自己肯定感は遊びのギフト」。

決して、大人が大人の都合で押し付けたりするもんじゃない。

 

ベーシッククラス担当のもなかが

事後のスタッフミーティングでこんなことを言っていました。

「プログラムの”山場”は、作るものじゃないと思う。

作られた”山場”はちょっと違う気がする」。

 

まさに、そうです。

大人が意図的に作る場には限界がある。

一連の流れ、今回でいえば、川に沿ってダムを巡り歩いていくプロセスの中で、

子どもと大人、そこにいるメンバーによって、

突発的に、偶発的に、予定不調和のなかで、

起こった出来事が、その子の”山場”になっていく。

 

ともすれば、

大人が意図的に作った”山場”を押し付けてしまう可能性がある。

キリフリ自然学校のスタイルは、

プログラムに子どもを合わせるのではなく、

子どもにプログラムを合わせていくというもの。

それができるのは、

”変な押し付け”をしない大人がいるからです。

 

かと言って、

全ての大人がそうかというとそうではなく、

”妙な押し付け”をする大人もいるところがまたいい。

その場、その時、その子どもにフィットする大人の多様性が大事。

だから、連携プレー。

ハイタッチは”妙な押し付け”の典型。

でも、それによって、子どもの表情が、ぱぁっと明るくなる。

横ではなく、正面から受け止めてくれた感がある。

こうやって、

”山場”が生まれていく。