ヤリンの友人の話 | みんなで楽しむモータースポーツ! ヤリンクラブのブログ

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皆さんこんにちは、ヤリンです。

今回、事情によりいつものヤリン構文ではないことと長文になりますが、ご容赦いただけると幸いです。


本題の前に、ヤリンは今シーズン、「サーキットトライアル」の筑波シリーズに参戦することになりましたのでお知らせいたします。



昨年までの「マツ耐」も大変良いイベントでしたが、勝手に無謀な展開にしていたことの反省と、本来目的の「一人で最初から最後まで走り切る」については(だいぶ)曲がりなりにも果たしたので、一旦線引きしたいと思います。

異論はあるでしょうが‥


そして今年からは、純粋にクルマを速く走らせることを趣旨として、このシリーズに参戦することを決めました。


サーキットトライアルは、簡単に言うと排気量や駆動方式などでクラス分けされたクルマが、混走でタイムアタックをして順位を競うイベントです。


クラス分けにより、ライバルのクルマとはある程度性能が拮抗しますが、やはりココでもヤリン・カー 007Gは不利な部類‥

しかし、順位はさておき、どこまで自分とクルマを成長させられるかをテーマに、年間を通じて取り組んでいく予定です。



3月に入ってからようやくテストを開始。


このシリーズの参戦にあたり、タイヤがある程度自由になるので、大幅なタイムアップが期待できました。

今回チョイスしたのは、ヨコハマのAD09。

これまでのBS・RE004よりも当たり前にグリップしますが、乗り始めは限界が分からず、大してタイムが変わらないという有様‥

サポートしていただいているG/MOTION'さんのアドバイスでだいぶマシにはなりましたが、まだライバルには大きく水を開けられている状況の中、開幕戦のレースウィークを迎えました。


そんな矢先‥


懇意にしている友人が亡くなってしまいました。


2006年〜2007年頃、会社の近く(当時は市ヶ谷)に一軒のワインバーがオープンしました。

当時は、近隣にバーやバルの様な業態が少なく、気に入ったヤリンは会社帰りによく訪れておりました。

そのうち、お店の方から常連客向けのワイン会のお誘いを受け、コリンと二人で参加することになりました。

当日、そのワイン会が終わる頃に一人の男性がお店に入ってきました。

何だか少し偉そうな雰囲気を醸していましたが、話を聞くに、このお店のオーナーとのこと。

なるほどね。

それが、彼に出会った最初の記憶です。


その後も、度々ワイン会や彼が普段居るお店(新富町)を訪れました。

オレ様系とコミュ障の真逆のキャラがお互い新鮮なのか、大して共通点もないのにナゼか気が合い、そのうち自宅まで呼ばれるようになりました。

行けば、沢山の友達・関係者が居て、本当に朝まで飲んでいる‥そんなことが何度もありました。

また、下町に興味があるというので、浅草を案内したところ気に入ったようで、それからコロナ前まではほぼ毎年、年始にお互い家族同士で初詣に行っていました。

このブログにも浅草寺の写真を何度も載せましたが、それは彼らと一緒に浅草を訪れた時のものです。

他にも、彼の結婚式の時には受付をするなど、店と客の関係から始まったとは思えない間柄になりました。

ここ数年は、毎月のように会うことはなくなりましたが、他の飲み仲間とともにお店で定期的に会ったり、たまにパリンを連れて行ったりもしていました。

最近では、2月に新年会をしたばかり。


それなのに


3月11日(月)の午後、お店を共同経営している方からLINEで「突然ですが、今朝亡くなりました。」との知らせが。

電話で状況を尋ねると、お店に向かう途中に駅の構内で倒れたと。

言っている意味が理解できない‥


翌日に斎場の案内が、その次の日には葬儀の手伝いを頼まれました。

それでも現実味がない。

そして、葬儀はサーキットトライアルの開幕戦と同日‥


迷いました。


なるべく結論を先送りにしようと、その日以降は残業と深酒で考えることを遠ざけていましたが、金曜日になってようやくレース事務局に欠場の連絡を入れました。


今は、クルマ以前に自分をコントロールできない


結局、出場する意義が見出せませんでした。

どうでもよくなったと言い換えてもいいかもしれない。


葬儀当日、コリンと身内の女性二人で受付、ヤリンは裏方で会計をしていました。

なので、通夜では弔問客とほとんど顔合わせできなかったのですが、芳名帳には数多くの知り合いの名前が。

皆、彼を起点に知り合った人ばかり‥


ヤリンは仕事柄もあって冠婚葬祭に立ち会うことも多いので、今回も努めて平静を装っていましたが、出棺の時にはさすがに堪えきれなかった‥

そして、ようやく受け入れたんだと思います。


レース関係でもなければ会社関係でもない、全く別の世界線で彼と出会って、そこから数えきれないくらいの人の輪ができました。

正しくは「友人」よりも「恩人」と言うべきか。


今もまだ気持ちの整理がつきません。

これからも初詣をする度、命日が来る度、それこそワインを飲む度に思い出すかもしれない。


そして、これから生きている間に、何度同じ目に遭うんだろうか‥