皆さんこんにちは(^o^)
本日、朝からとある映画?を観に行ってきたヤリンです。
映画というより昔のライブ映像ですね。
しかも35年前のもの⁉️
「浜田省吾」、ご本人が現在70歳と世代がかなり上なのとテレビにまず出ないので、ご存知ない方もいるかもしれませんが、ヤリンが知る男性シンガーでは至高の存在ですね。
ヤリン、ようやくハマショーの歌が沁みる年齢になってきた気がします。
上映の1曲目から‥(T ^ T)59
上映期間が残りわずかなので、このブログを読むヒマがあるならゼヒ映画館へGO❗️w
というワケで、出だしから懐かし風味ですが、今回はヤリンの半世紀に亘る反省記ですw
ヤリン以外の人にはどうでもいいことですが、実は明日5/15で、千葉・四街道の新東京サーキットでカートに初めて乗ってから30年が経過します。
そして、気がつけば昨年10月で、生まれて半世紀の大台を越えていました‥
自覚のないまま歳をとって、今、何を想う‥
ヤリンは所謂第二次ベビーブーム世代、お世辞にも経済的に恵まれた家庭の生まれではなかったですが、少年期はTVゲーム、ラジコン、プラモデルなどの遊びや塾通いなど「みんながやっていること」をするのが「当たり前」だと思って過ごしてきました。
そして、親からも高校→大学→会社員のルート以外の選択肢なんてあり得ないと教えられてきました。
要するに、何も考えずに誰かが作ったレールの上をただ流されていただけ。別にそれをおかしいとも思わずに。
それが、大学生になって、あまりにも自由になった時、途端に不安になりました。
「何のために生きているのか」
「自分の存在に実感がない」
やりたいことも特になく、日々テキトーに遊んで呑んで、朝になったら寝る‥
そんな日がいつまでも続くわけもなく、二十歳を迎える頃、生きているのが嫌になりました。
当時、具体的に死ぬタイミングまで考えていましたが、その前に何か一つくらい「自分で決めたこと」をやっておこうと思いました。
そういう理由で始めたカートレース。
小学生の頃からラジコンを始め、中学時代からはF1ブームもあり、レースはずっと憧れではありましたが、あくまで別の世界の話。
とても自分にレースができるとは思えませんでしたが、「やりたい」とは思えました。
何の計画性もカネもなく、ただレースがしてみたいという理由だけで飛び込んだ世界。
30年前の初走行で、望み通り死にそうになりましたけど‥
当時お世話になった&ご迷惑をおかけした方々に、改めて感謝とお詫びを申し上げます。
そこからは、レースをすることが生きるうえでの大きな理由になりました。
プロになったわけでもないし、優勝もしたことはあるけど成績も大したことないし、辞めようとしたりしなかったり‥でも、走っている間は生きている気がする。だからそれでいい。
でも、残念ながら最近は視力をはじめ様々な身体機能が衰えてるし、右腕の痺れは治らないし、走れる時間は残りわずかと思っています。
あと1回でいい、これが「自分のレース」と呼べるレースをしたい。
それが現在の目標です。