災害医療の現実 | 救急医の戯言

救急医の戯言

元呼吸器内科医であった救命医が、患者として2回手術を受けたこと、最近の医療について思うことを思いつくまま書いてみました。

 新年から救急患者数はかなり増えている。

しかも、結構重症患者さんも搬送され手がかかるため、朝から翌朝まで食事を摂る暇もない。

そんな中北陸の地震が起こり、我々の病院からもDMAT隊を派遣している。

病院職員のなかでDMAT隊員としての資格を持っている者は限られている。誰でも派遣できるわけではない。

1次隊、2次隊までは派遣できた。

被災地に思いを馳せれば、大事なミションなのだ。

しかしながらその後が続かない。本部から派遣要請が出て、返事をするまで数時間しか猶予がない。その間都合がつくスタッフが集まらなければ、派遣はできない。

 そんな中、新たな派遣要請が来たが、派遣期間が6日間に及ぶという。多分、輪島市と珠洲市の支援をするためには行き帰り3日は必要で、残り3日間が活動期間なのだろう。基本DMAT隊は宿、食事、など自分に関するケアは自弁だ。誰かが面倒を見てくれるわけではない。我々は登山者でもなければキャンパーでもないので食材を準備して自炊するような装備はない。今回は色々病院スタッフが悩んだ挙げ句、安全確保ができないとの判斷で、派遣を見送った。

 本部からは、いくつかの病院が派遣要請に応じた、というメールを具体的に病院名を挙げて発表してくる。派遣しなかった病院ももちろん明白になるわけだ。

 ある病院はリソースの不足のため1次隊だけで撤収したため、2次隊を派遣しなかったことで面目が立たなかったのか(ここは僕の想像)院長が年頭のあいさつで、病院を挙げて全力で派遣する、と宣言した。こんなことが新聞で報道されている。

 なんだか、特攻隊に志願しなかった者が自己嫌悪に陥るような強烈な後ろめたさが残る。

  震災から1週間を迎え、おそらく半島奥地での活動が求められている局面なのだろう。

今回派遣を見送ったが、数日後に出発できるよう計画している。1週間は無理だとしても、数日でも。

 そんなことを考えながら、日々の救急業務に当たっているが、このところ重症急患が引きも切らず、1晩明けると心身ともに疲弊している。こんな状況で災害現場に迎えるのだろうか?困った。