1億円ボタン押す? | やらヨガ日記

やらヨガ日記

大阪を中心に関西でヨガインストラクターをしています。

お久しぶりのブログ更新😚



Instagramでこんなアンケートを取りました。



「目の前にボタンがあります。そのボタンを押すとあなたは1億円貰えます。その代わり、世界のどこかでランダムで誰かが死にます。あなたはそのボタンを押しますか?」



さて、これを読んでいるあなたは

押しますか?それとも押しませんか?🫣


絶対押さない!と即決する人もいれば

一億円という大金に悩む人もいると思います。


その時の経済状況や心理的な状況も

選択に影響をきたすかもしれません🤔



最近、倫理学についての本を読んでいてこのテーマが出たので、僕の身近な方々はどうされるのか気になったので質問しました。笑



さて、アンケート結果としては


回答してくださった方の殆どが

「押さない」を選ばれました!


その理由も沢山頂き

僕なりに編集しております↓


・罪悪感に耐えられない!自分が嫌いになる。

・身の回りの人が死ぬ可能性があるのは嫌。

・自分の為に誰かが犠牲になるのは嫌、そのお金に価値を感じない。

・押したい気持ちはあるし、押す方は多いと思うけど、私は押したくない!

・お金より命の方が価値があると思う。

・因果応報が必ずある(カルマの法則)。


ざっとこんな感じ。


ちなみに「押す」と回答してくれた方は


・押しても押さなくても人はいつか死ぬから


というご意見でした。なるほど。笑


ご回答有難うございました🙏


では、倫理学においての正解を発表します。


倫理学的にはズバリ、


「押してはいけません!」


(そらそうやろというお声が聞こえてきた。笑


読んでいる本には倫理学には「答え」があると定義されていました。「人それぞれに答えがある」という価値観は倫理学では通りません。


倫理学とは「人が社会で生きる為の根底にあるべきルールのようなもの」。動物や植物ではなく、人間の生活の為にあるんですね。



今回のテーマを倫理的に考えるとすれば、


あなたが「押したいか、押したくないか」といった気持ちや欲求等、心理的な理由ではなく


あなたは「押していいのか、押してはいけないのか」

という道徳、倫理的な理由で考える…


べきなのです!(どーん)


その観点から考えた時に、倫理学的には絶対に「押してはいけない」という判断になります。


そしてその"理由づけ"が必須になります。



そもそもこの質問って「一億円あげるから人殺してくれへん?」ってお願いと同じですよね🤔


人を殺すのってダメだよね。笑


その理由が大前提なんですが、



倫理を考えるにおいて大事になってくるのは

「相互性」です。


お互い平等ということ。


この相互性という視点で考えた時

「ボタンを押す!」という方は、


自分以外の誰かがそのボタンを押し、万が一自分が死ぬ対象となっても文句を言えないのです。


またその白羽の矢が立つのは自分の子供や配偶者かもしれない。それに対して不満があるなら、あなたは押す選択をすべきではありません。


って事になります。


押せなくなってきませんか?笑


まとめると、押したい、押したくない、という気持ちはさて置き、倫理学的に正しい選択は「押してはいけない」となる訳です。


「押していい」という考えが当たり前な社会になると、社会の秩序や調和が崩れてしまいますよね。恐ろしくて安心して生きていけない😱


お題がシチュエーションとして非現実的な話なので、あくまで倫理学の観点でのお話でした😂


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言い換えると、自分の権利を認めて欲しいなら、相手の権利も認めてあげなければいけません。そういった相互性は大事だと思う。


私が許される事はあなたも許される。


立場やシチュエーションで変わる事もあるけど、基本はこの「相互性」や平等さが、色々な選択の際の指標となればいいな。


こんな事を改めて言語化して考えるのって超面白いな!ってお話でした。


以上!笑