急な学会のお手伝い
私自身所属していない学会でしたが、人手が足りないとのことで、とある教授から手伝いを言われました(一昨日、大学のタバココーナーで)。
急すぎですよね。
訳あってグリーン車に乗りました!
人生初ですが、座席間隔がかなり広いですね☆
靴も脱いで、リラックスしまくりです。
あの快適さをいつかまた味わえるよう、これからも頑張って研究し、研究者になると誓いました。
ごみの有料化とごみの減量の関係
熊本市で家庭ごみの有料化 が始まりました。
記事によれば、
「ごみ減量を目指し、熊本市で家庭ごみの「燃やすごみ」と「埋立ごみ」の有料化が1日から始まる。同市の有料化で、県内全自治体で有料となる。同市では事業系ごみの搬入手数料も、同日から値上げされる」
とあります。
簡単にすると、
ごみの有料化 → ごみの量が減る → エコな都市 といったようなものを想定されているのでしょう。
熊本(679,290人(wikipedelia による))と人口規模や政令指定都市を目標といった面でも似ている岡山市(704,049人(wikipedelia による))ではどうなっているのでしょうか?
①議会でも反対根強かった有料化
②有料化は減量に有効か?
③受益者負担の論理に疑問
また、そこでは
「最初は減るが、その後はリバウンドしている自治体も多いのです。さらに、ごみが減っている自治体を分析すると、『有料化そのものよりも、むしろ、収集方法の変更が、減量に有効である』という研究も多いのです」
と指摘されています。
(詳しくは、Google Scholar で 「ごみ有料化 減量」と探すといくつかの論文に当たりますので、そちらでご確認ください。 )
ここで注目されておかれるべきは、 ②有料化は減量に有効か ということでしょう。
有料化によって、ごみの減量を目指すというのですから、最初にクリアしておく最低限の課題では?

餃子パーティから日中食文化の違いを感じる
今日は留学生のS君と餃子パーティでした。
生地から作りこむという大掛かりな準備でしたが、肉汁たっぷりのおいしい水餃子が出来上がりました。
私も初めて餃子の皮に具をつめて餃子のかたちにするという貴重な体験ができました≧(´▽`)≦
↓は、その水餃子です。
焼き餃子も食べてみたいと話すと、S君は、「水餃子が本場で、焼き餃子は水餃子の余ったやつでつくるんですよ」とのこと。今まで餃子=焼き餃子だったので、こんなところにも『文化的差異』を発見できて、おもしろかったです。
これを、ニンニクたっぷりの特性タレ(すみません、作り方が複雑で、詳しくかけません。。。)で20個位食べ、満腹になったところで、デザート?にトマトをたべましたが。。。
ここでも、日中の大きな「文化的差異」を発見です。
答えは
塩ではなく、砂糖です!!!!!ホントにびっくりしました。
マーケティングでは、「文化的差異」を考えずに、他国でもそのまま作るモノと、その国に合わせて改良する場合があります。この時、前者を移転といい、後者を伝播といいます。移転するのか、伝播するのかは、各製品によって違うと思いますが、どのようなマーケティング戦略をとるのか考え物です。
他国の文化を尊重しながらも、自分たちの製品を売って、文化的なものを組み込んでいこうとするわけですから。
マーケティングを考えた場合、このバランスが難問ですね。
[ネット通販]「家電王国」が音信不通に 楽天が被害
[ネット通販]「家電王国」が音信不通に 楽天が被害補償らしい
。
記事によれば、
「インターネット上のショッピングモール「楽天市場」に出店する家電販売店「家電王国」の利用者から8月下旬以降、「入金したのに商品が届かない」といった苦情が運営する「楽天」(東京都品川区)に相次いでいる。楽天は家電王国のサイトを閉鎖し、自社の補償制度で約120人に被害補償するなど対応に追われているが、家電王国側と連絡が取れずに混乱が続いている」
という。
ネットで顔の見えない取引をする以上、最低限の約束は守らないと、『超保守主義の考え方の人』は、やっぱり対面販売でないといけないとか言い出します。
便利な生活をする為に、必要最小限の約束事があると思いますが、それを良心にだけ押し付けるのもどうかと思います。こういう議論があると、市民参加を促し、みんなの意見を聞こうというのが今の流れですが、本当にそれでいいのでしょうか?
僕自身は、市民参加といわれている形態が、すでに筋書きに合わせて、そのような意見を発言する人を集めているように思います。そこで発言された消費者代表のような人は、本当に代表でしょうか?
さらに言えば、大本の枠組みを作る段階では、消費者を向いているのでしょうか?
経済学では、生産と消費は一致し、その間に介在するものは所与としてブラックボックスとして処理されていると思います。
本当の消費者意識をどのように求めるのか、それが求められている時期は今こそ他にないのではないでしょうか。

