朱に交われば赤くなる。
確かに人間社会で生きていくには交わる必要がある。
私は子供の頃、、
物語には影響されても、他人に影響されることや流されることが大嫌いだった。
誰かの色に染まるなんて虫唾が走るし、いつまでも赤く染まらず白いままでいたいと思った。
でもそれじゃつまらない。
そう思い始めてからは交わるようになり、価値観を共有することも悪くなかった。
それでも固定概念が嫌い。
どこかの枠に収まりたくない。
小山の大将に支配され井の中の蛙以下で終わりたくはない。
そう思い始めてからはあちこちのコミュニティや職種、業界の朱に交わるようになった。
20代はずっとそうだった。
赤に限らずどこもかしこも違う色だった。
そこで思った。
私は色を統一したくない。しなくていい。
共通点はあっても、みんなと一緒じゃなくていい。
例えばパフォーマンスをするにしても、、
時にはマジックをやり、場所によってはものまねをやり、、
相手によってはメンタリズムをやり、、
みんなで腹の底から笑うときはMCをやりすべらない話をするなど、、
パフォーマンス一つにしてもたくさんの色があった方がいい。
人それぞれ年代も価値観もバラバラであれば、趣味や好きなものも違うんだから。
食べ物の好みがバラバラであるように。
朱に交われば赤くなるけど、、
たくさんの世界で朱に交わり続ければ虹色になる。
食べ物一つにしても虹色の如く、たくさんの色や味があった方がいい。
人も同じ。
太陽が光を中心に、虹色を醸し出してるように。
いつも私たちに輝く見本を見せてくれている。
一人一人が太陽の原型であって、、
見本に近づけば近づくほど、陽の当たらない場所でも、太陽に代わって誰かの希望の光になれる。
人は誰にでも、その可能性がある。
これからもそう信じてる(^^)