目には目を、裏切りには裏切りを。
根っからの負けず嫌いだからなのか、僕は昔からやられたら倍返しをする傾向があった。
ただ、完膚なきまで痛めつけたとこで傷つけたところで、あまり気持ちのいいものではない。
だから、相手の弱みが見えたら、弱点が見えたら、一歩引いて一線をわきまえるようになった。
スターウォーズでいうと、ダース・ベイダーをトドメの一歩手前まで追いつめたルーク・スカイウォーカーが、それまでの怒りが嘘みたいに消えて、ライトセイバーを投げ捨てたときのように。
僕は過去に水商売の女性と交際したことがあった。
彼女のお店に行ったことは一度もなければ、あるイベントで知り合って一連の流れから付き合うことになった。
水商売をしている女性にも多かれ少なかれ自傷行為にリストカットをする子はいるけど、、
彼女は特に衝動的になりやすくリストカットも日常茶飯事だった。
情が膨らんで命懸けて守ろうとしても、彼女の寂しさ故にその矢先に浮気されることも多かった。
その度に、あえて許してあえて優しく接しては、時間が経てば僕に相談をしてきたり戻ってきたりもした。
そこまで関係も深まってくると、どうすることもできた。
飼い馴らせたペットのように我が物にもできれば、裏切りの復讐にドブへ投げ捨てるように心をズタボロに傷つけ絶望させることもできた。
でももう、そんなことどうでもよかった。
その子を見てると、人間は誰かに操られるために生きてる生き物でもなければ、終わりなき争いや復讐を繰り返す生き物でもない。
人徳に反することさえしなければ、もっともっと自由に生きていい生き物のはずだ。
そう思えた。
ドラゴンボールでいえば、相手がどんな悪党でも極悪非道で仲間や親友まで殺した敵にもかかわらず、いつもトドメを刺さなかった孫悟空のそのときの心境が、今なら少しだけわかるような気がする。
あらゆる武術も心理術も、術者の本人の使い方次第で器次第で生き方も人生も変わってくる。
時にその力におぼれて黒く染まることがあったとしても、真っ黒には染まりたくはない。
弱さ故に人を裏切り傷つけてきたような、自分が否定してきたような人間にはなりたくない。
大切な人たちと支え合って生きたいから。
自分の目の前に映る人も映る世界も、本質を含めもっと美しく見てみたいから。
万華鏡のように美しい、このアジサイのように
