時には疑うことも大事だという。
もっといえば、情報を疑うことが大事。
たとえば自分の持っている情報はほんとうに正しいのかとか、ほんとうに自分に役立つ必要なものなのかとか、、
相手が誰であろうと自分に伝えてきた情報は正しいのかとか、ほんとうにそれが真実なのだろうかって。。
疑う人とは表面上では気難しくて神経質という悪印象はあるかもしれないけれど、、
疑いの目を考えをもつことによって、自分を守ることができる。
そして大切なものを、ときにはお金を家族を、大切な人すら守ることができる。
たとえば、メンタリズムは確かに犯罪トリックや詐欺師から生まれたものだけど、、
良い方向に活用すれば、守りたいものを、人を守ることだってできる。
悪徳商人や詐欺師から守ることができる。
だから、ほんとうに信じたい情報や信じたい人を信じるには、まずは疑いから入ることが大事なのかもしれない。
そうすれば、後々ショックを受けることも、後悔することも人を恨む必要もない。
その人のことを改めて知ることができた、新しい情報が手に入った、それだけのことなんだから。
ある講師がいっていた。
「常に自分の知識や世の常識を疑えない人は講師になってはいけない」恩師がくれたこの言葉をずっと大事にしている…って。
…僕はこれを聞いて、恥ずかしさと自分の未熟さを大きく感じた。まだまだだな…って。
だからこそ僕も、この言葉を大事にしたいと思った。
この先どんなに時代が変わろうとも、人類にとって必要なことであることは間違いないはずだから。
だからある意味、疑うことは人間関係をより深め、その人との関係を大事にすることなのかもしれない。きっとそうですよね、、
人として講師としてメンタリストとして、どこまでも疑うことを忘れない、、ビジネスメンタリストの、白戸三四郎さん☆