【起】
──2012年6月、北海道・名寄市。
ある無線研究家が、周波数7.138MHzで「人の声のようなものが聞こえる」と、地元紙に投書した。
その声は、非常に微弱で、内容も不明瞭。だが、同じ周波数に耳を傾けた別の無線家からも同様の報告が上がり、ネット上では“Z-HUM(ゼット・ハム)現象”と呼ばれるようになった。
一部のオカルト系YouTuberは「戦前の軍用無線の残響ではないか」「未来からのメッセージではないか」と煽ったが、学術的な裏付けはなかった。
私、**村谷知也(むらたに・ともや)**は、当時NHK札幌で特集番組を担当していた若手ディレクターである。
「何かに引っかかる」
Z-HUMの音源を聞いた時、胸の奥に何かがざわついた。曖昧な母音、消え入りそうなささやき。だが、それはどこか…「記憶にある声」に似ていたのだ。
【承】
2013年夏、私は休暇を利用して名寄に向かった。Z-HUMの発信源を突き止めようとする地元の無線愛好家たちは、廃駅となった風連(ふうれん)駅跡地付近にアンテナを集中させていた。
奇妙な一致があった。
彼らの観測では、毎月13日の午前2時13分前後に、信号が強くなるという。
風連駅。私はなぜかその名前に見覚えがあった。実家に戻り、亡き祖父が残した日記を読み返していると、1冊の古い黒表紙のノートが出てきた。表紙には日付が走り書きされていた。
昭和38年6月13日 午前2時13分 風連駅
それは偶然か?私はページをめくった。
「今日は“あの子”の声がまた届いた。誰にも話してはいけない。あの列車は、13年前に沈んだはずなのに──」
列車?沈んだ?風連には河川も湖もないはずだ。だが、調べるうちに1件の記録にたどり着いた。
1960年6月、風連駅から宗谷本線を走行していた臨時列車が、突如として行方不明になったという未確認事件。
乗客は修学旅行中の稚内第三中学校の生徒41名と教職員4名。
だが、この記録は公文書としては存在せず、当時の新聞にも掲載がない。公式には「そのような列車は存在しない」ことになっている。
ならば──Z-HUMは、その列車からの「声」なのか?
【転】
私は音源を東京工業大学の音響工学研究室に持ち込み、周波数成分を解析してもらった。
結果は驚くべきものだった。
「音声の帯域が不自然に狭く、まるで戦後すぐの磁気テープ音源をラジオ波で再送信しているような構造です」
「しかも、逆位相に近い成分が混在しており、“重ね録り”された痕跡があります」
つまり、1つの音源に複数の音声が混在しており、その内容は断片的だったが──
「いま、どこ……?」
「扉が……閉まらない……!」
「先生……あの光……つめたい……」
これらの声は、まるで事故車内で録音された叫び声のように響いていた。
私はある仮説を立てた。
このZ-HUMは、現実に起こった事故を「記録」している。
そしてその記録は、なぜか、時空を超えて無線波として再生され続けている──まるで「残響標本」のように。
【結】
私は、番組としてZ-HUM特集を制作した。
だが、放送前日、局内に一本の匿名FAXが届いた。
「あの列車は、“沈んだ”のではない。“封じた”のです」
「これ以上、掘り起こしてはなりません」
その夜、私は再び風連駅跡に向かった。
十三日の午前2時13分、録音機材を設置した瞬間、ラジオからいつもの“ノイズ”ではなく、はっきりとした旋律が流れた。
──「ふるさと」だった。
小学生の合唱。微かに混じる「先生ありがとう」の声。そして、
「──記録、終ワリマス──」
その直後、Z-HUMは完全に消えた。以降、誰もあの周波数で何も聞き取ることができなくなった。
今も私は、あの列車がどこへ行ったのか知らない。
だが一つだけ、確信していることがある。
彼らは、今も**記録の中に“存在していた”**ということだ。
歴史にも地図にも残らない、だが、たしかに“あった”記憶として──
そして、もしあなたの無線に微かな声が届いたなら、
それは、忘れられた誰かが、いまも「応答」を待っている証なのかもしれない。