【鉄道ブログ】「なぜ鉄道が好きなのか?」という悪魔の質問に、私は今日も撃沈する。 | テツになる勇気。

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テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

 

「ねぇ、なんでそんなに鉄道が好きなの?」

この一言を、軽い雑談かのように投げかけてくる非鉄の友人。
その無邪気な瞳の奥には、純粋な好奇心と、若干の嘲笑が見え隠れする。
嗚呼…またか。そう思った瞬間、私の心の中で赤信号が点滅する。

「論理武装、発動。」

なぜ鉄道が好きなのか?
――それは、エンジニアにとって最も回答が難しい質問のひとつである。

人は愛を語るとき、理屈よりも詩を用いる。
けれど、職業病という名の呪いを受けた者には、それが許されない。


■エンジニアの習性、それは“感情を論理で翻訳しようとする”哀しき本能

私たちエンジニアという種族は、感情を感情のままにしておけない。
「好き」と言われたら「なぜ?」と返す。
「楽しい」と言われたら「どこが?」と深掘りする。
結婚相手にすら「UIが直感的だったから」と答えそうな勢いである。

それゆえ、「なぜ鉄道が好きなのか?」という問いを前にすると、脳内では自動的に“なぜなぜ分析”が起動する。


■実際に“なぜなぜ分析”で「なぜ鉄」を試みた結果をご覧いただこう


Q-Lv1:なぜ鉄道が好きなの?
→「鉄輪がレールの上を走る、あの摩擦音と振動がたまらないから」

Q-Lv2:なぜそれがたまらないの?
→「金属と金属が擦れ合うことで生まれるあの共鳴音には、魂を揺さぶる何かがある」

Q-Lv2ダッシュ:それならゴムタイヤで静かに走る札幌市営地下鉄は?リニアは?道路輸送でゆっくり運ばれてる新車両は?全く興味ゼロ、ナッシングってことでいい?確定ね?」
→(脳内で悲鳴、血管がキレる音)
→「そういうんじゃないんだ…そういうんじゃ…」


この時点で脳のタスク管理がパンク。理論の迷宮に迷い込み、気がつけばレールの上ではなく、自我の断崖絶壁を走っていた。


■そもそも“なぜなぜ分析”は人間関係を破壊する呪術である

会社でバグが出たときの「なぜなぜ分析」はこうなる。


Q-Lv1:なぜバグが出た?
→「テスト不足です」

Q-Lv2:なぜテストが不足してた?
→「その機能、今回は触ってないので」

Q-Lv3:なぜ未修正の部分もテストしない?
→「……お客様は神様ですが、全知全能ではないので……」

Q-Lv4:なぜ神に近づこうとしない?
→「……(無言で内線を外す)」

Q-Lv5:おいどこ行った?
→「……退職代行からお知らせです」


こんな凶悪なツールを、“好きなもの”に使ってはならないのだ。
まるでデート中に“コストパフォーマンス”で恋愛を評価するようなもの。
ロマンもへったくれもない。


■それでも私は、なぜか鉄道を愛してしまうのだ

確かに鉄道が好きな理由は一貫していない。
人をたくさん運ぶ? → 飛行機もバスもできる。
長い車両が連なって壮観? → 単車のローカル線よりトレーラーのほうが好きなの?
時刻通りで精密? → コンビニの棚卸しも大概すごいぞ。

それでも私は、なぜか踏切が鳴ると立ち止まり、
駅の発車メロディに耳を澄まし、
廃駅に咲く草にすら心を打たれてしまう。


■理屈を捨てたとき、鉄道は“宗教”になる

鉄道とは、線路に沿って走るただの乗り物にあらず。
それは、風景を切り取り、時間を運び、人の心を軌道修正する装置。

どんなに意味を求めても、最終的にたどり着くのは「好きだから好き」という論理もへったくれもない、結論ありきの結論だ。


だからもう、聞かないでほしい。

「なぜ鉄道が好きなのか?」

その問いの代わりに、こう言ってくれたらいい。

「最近、どの駅に行った?」
「推しの形式、今も元気?」
「乗ったことないローカル線、教えて?」

それだけでいい。
線路のように、ただ繋がってくれたら、それでいいのだ。


次回:
「なぜ、家の押入れの8割が鉄道むすめグッズで埋まっているのか」問題に切り込みます。
反論は、レールの上でお待ちしています。

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