次の元号が決まりました。今回、中国の古典ではなく初の和書「万葉集」からの出典ということで話題になっています。
必要な手順を踏みつつも、決定の過程の詳細が明らかになっていないので何とも言えませんが、安倍首相の元号に対する思いも反映されているのは間違いないと思います。
安倍政権は、与えられた権力を積極的にかつ躊躇わずに行使しようとすることろがあります。権力は時として強く行使しないといけないことは承知の上であってもそんなのホントの保守ではないぞ。そこが私がこの政権発足からずっと感じている違和感です。
元号の文字の意味についても「令」にあたる文字は縁起がよい意味もありますが命令の令のような自由に反する上から目線の意味もあり、「和」の文字も日本そのものや平和の和の意味もありますが昭和時代のように不幸も希望も経験した激動の時代に敢えて使うことがいいのだろうかとも思ったり。
それと、和書を出典として元号を選んだということは、中国から離れ、日本独自のアイデンティティを強調し、国民の結束を願っているようにも見えます。それも今の日本を取り巻く状況として偏狭なナショナリズムに陥らない限り間違いとは言えません。
しかしながら、2020年代に中国のGDPはアメリカのそれを抜いて世界一になることはまず間違いありません。これからは世界史の王道に中国が名実ともに戻るわけです。日本がアメリカ政府にすり寄るように中国にすり寄る必要はまったくないわけですが、中国の影響を大きく受ける日本としてこの元号の政治的背景はないのだろうか?と勘繰りたくもなります。
日本はもう成長しません。アメリカは自国優先主義、アジアは日本を追い越す勢いで成長してますから、日本の成功体験が過去のものになって焦っているから日本の素晴らしさとかアジアの後進性なんかをやたら強調する風潮もありますよね〜
日本は歴史的に明らかに中国文化圏であり中国の属国でした。その当たり前の世界基準を日本人は知っていて知らないふりをしているのではないでしょうかね〜まあそれも気持ちはわかるのですが。
通常使用は「世界基準」たる西暦を使用することが個人的には妥当と考えますが、世界でも唯一といっていい日本独自の時間機軸「元号」を必要な場において使うこともまた妥当なのだとも思います。
とはいえ、この元号はこれらかの日本の困難な状況からも日本の春の風景を楽しむような平和が続いて欲しいという日本人の総意に近い願いも込められているとも感じます。梅の花咲く「令和」ゆかりの太宰府を先月訪れたこともあり、運命的なものを感じたりもしています。
「令和時代」が日本とアジアと世界の平和に繋がるものであって欲しいと心から願います。