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日本テレビ政治部デスクで長年自民党の保守政治を見てきた菊池正史氏が著した、安倍晋三首相と祖父である岸信介元首相との政治思想の関係性や系譜をたどった一冊。
戦後最大の権力者となった安倍晋三首相の政治思想とは何か、ということに第一次安倍政権時代から興味があって、安倍氏自身の著書も含めいくつか本は読んでいますがまだ結論が出ているわけではありません。
はっきりしていることは、安倍氏は祖父の岸信介が描いていた戦後保守政治の脱却に親近感を抱いていて、その根本はアメリカに「押し付けられた」とされる日本国憲法の改正である、とする立場では一貫していること。すなわち岸信介が目指して挫折したあるべき戦後日本を実現したいと。それが「戦後レジュームからの脱却」であると。
すなわち安倍晋三を知ることは、ほぼ共通する政治思想を抱いていたといえる祖父の岸信介を知ってその系譜を辿ることからだというわけです。
内容としては、日本の戦後保守政治の系譜を辿り、岸信介と安倍晋三との関係を明らかにしている内容。著者はテレビ報道の現場から視聴者にわかりやすく政治を伝えてきた立場から、岸信介と安倍晋三との関係を中心に戦後保守政治の流れがよくわかる内容でした。
この本に課題があるとすれば、これは私自身が理解できていないことなのですが、岸や福田、安倍氏にあるとされる「エリート主義」に対する見解と検証はまだ不十分ではないか、ということ。
それと、安倍晋三氏と父である元外相安倍晋太郎氏との関係性に対する検証がないこと。これは安倍晋三氏を半生を辿る必要があるのだがそこは触れられていません。
日本の平成時代の政治は小泉政権を除いて権力基盤の弱い首相が続きました。
第二次安倍政権はとても権力基盤の強い政治であり、首相が表裏のリーダーと最高権力者を兼ね、戦後派閥政治の権力の二重構造とは一線を画した本来はあるべき政治状況です。
それは日本にとってある程度必要なことでもあるのですが、強過ぎても困るよなあ。支持率下落で政局はどうなるか。公共の秩序より個人の自由を尊重してもらいたい小生としては、です。
読書メモ⤵︎
・安倍晋三総理は戦後最強の権力者
・改革に熱狂してきた人々は閉塞感に包まれている。袋小路に立たされていても自信とプライドをもって生活したい、そういうささやかな庶民感情に安倍総理の「保守」が刺さってきた
・安倍総理にとって自分自身が保守である証が「憲法改正」
・矛盾や欠点を抱えつつも、今の憲法を柱とした戦後体制が結果として豊かで平和な日本を築いてきたことは歴史的事実。その戦後保守からの脱却を安倍総理は目指している
・安倍総理が憧れる祖父の岸信介は開戦を決定した東条内閣の商工大臣。戦後A級戦犯容疑者となったが、アメリカの占領政策が天皇制・日本政府・官僚を利用する方針となり釈放された
・岸は太平洋戦争の責任を強く感じていたがその責任の取り方が勝者である占領軍による一方的な断罪には心理的に反発を感じていた
・岸は戦争の原因は、米英先進国と後発国日本との帝国主義的な対立にあると考えており、東京裁判の訴因となった平和・人道に対する罪にはあたらないと反発した。岸にとっては先の大戦は防衛戦争だった
・岸にとって日本国憲法は、日本人の精神構造の変革(日本国民の骨抜き)の集大成
・吉田茂は、新憲法を受け入れ、不平等な旧安保条約に署名した。これが戦後体制の原点
・岸「祖国を自分たちの手で防衛することは独立国として当然の義務であり権利。他国の軍隊を国内に駐屯せしめるのは新の独立国の姿ではない」
・岸は政治家としてのリアリズムが両岸と揶揄された
・対等な関係への壁となっていたのは憲法
・岸の考える日本人の精神とは「特攻隊に象徴される勇敢さ、上司の命令に服する規律の高さ、武士道の精神、国民の困苦欠乏に耐える堅固さ、団結心など日本人全体の道徳心の高さ」であり、アメリカはこれを変革破壊をはかった、とした
・岸が出会ったのは国家社会主義。貧富の差や混乱を国家が主体となって変革する思想
・岸のエリート主義は、国家を動かすのは武士道精神を担ったエリートであるべきという考え方だったのではないか
・岸は1943年の大東亜会議で採択された大東亜共同宣言の作成に携わった。昭和の戦争を正当化した大東亜共栄圏思想のイデオローグ。根本にある理念が欧米帝国主義からのアジアとしての抵抗であるアジア主義
・日本とアジアとの連帯という理念が、日本がアジアの盟主という意識につながり大東亜共栄圏が日本の大陸進出、植民地支配を許容するイデオロギーに。岸は戦後この点は反省したが、アジア主義の根本理念は岸の政治の根底に流れ続けた
・岸の保守政治は戦後体制脱却への願望だった。それが行き過ぎると戦前回帰の反動ともなった
・反米だった岸にとって、アメリカ占領政策に協力し、その権威を背景に権力を掌握した吉田が許せなかった
・吉田は不平等な安保条約に甘んじた。アメリカ軍の基地があることが大きな抑止力になると考えた
・吉田ドクトリンに連なる戦後保守の対米協調とは対米従属とは一線を画したしたたかなものであったのではないか
・吉田は岸の戦前への回帰を嫌悪し排除した
・岸のエリート主義は大衆には受け入れがたいものだった。岸たちエリートが先の戦争を始めたから
・戦争の敗北は、エリートたちが常に正しい道を選択するとは限らない失敗を犯すことを実証した
・石橋湛山は自由主義者。石橋も岸同様、アメリカ支配を受け入れることができなかった。吉田は米国の傀儡とした
・自分が絶対に正しいと自信をもって反対を押し切る強烈なリーダーシップがエリート主義の特徴
・当時の国民は平和を求め、それを支える豊かさを求めていた
・戦後民主主義の価値とは最大公約数を大切にするということ
・池田とライバルにあった佐藤栄作は、首相になって最大の功績は経済優先によって取り残された外交課題を丁寧に克服したこと
・現実を受け入れて、生き残るために最善の選択をするしたたかさが田中角栄の行動原理
・田中は政治にとって大事なものは人々を豊かにすること、生活を便利にすること、欲望を満たすことだと理解した
・田中が保守したものは大衆、経済優先
・佐藤の日韓、田中の日中とアジア外交は対米協調と並んで戦後保守の基軸となった
・しかし田中は全方位外交が経済分野に及び、エネルギーの安定供給をめざし、資源外交の多角化に挑戦した。ロッキード事件で失脚した田中後の戦後保守は対米協調重視する枠内に戻った
・池田と福田の対立は吉田と岸の代理戦争
・角福戦争で福田は岸以上にエリート主義を徹底した。しかし政治理念は戦後体制の補強だった
・福田は憲法9条を盾にとってアメリカによる日本の防衛を確固たるものにしようとし、軍事大国ではなく経済大国を目指した
・エリート主義・戦後体制脱却という岸的保守の要素は角福時代において断絶した
・青嵐会がもとめたものが金権政治打破と憲法改正、反中・反共
・中曽根は長く岸と共同歩調をとったが、先の大戦に対する見解などは岸と異なる。権力の行使にも抑制的だった
・中曽根時代の官房長官だった後藤田正晴は官僚の世界で戦後保守の一翼を担ってきた。警察官僚として左派過激派を取り締まりつつも、人権尊重と戦争責任と侵略戦争への反省を常に意識していた
・後藤田は中曽根の靖国神社公式参拝をすぐに中止させ、東京裁判は戦勝国の国民を納得させるために必要であり、歴史の教訓から生まれた勝者の智恵だとした
・JR/NTT/JTへの民営化は多くの人が賛成した
・アメリカ・イギリスで第二次大戦後の経済を支配したのはケインズ経済学。自由市場の失敗を政府の力によってコントロールする大きな政府の考え方。しかし米レーガン時代に財政貿易赤字に苦しみ転換した
・竹下は、金権をむき出しにした田中よりも巧妙に自然にコンセンサスを重視しながら権力を行使した
・派閥は江戸時代以降の日本社会の縮図
・小沢にとって小選挙区制は究極の多数決であり、決める政治を実現するためのツールだった
・戦後保守は敵をつくらない政治だった
・小沢は竹下派を飛び出し、自民党を離党して非自民連立政権を打ち立てた。小沢の多数決至上主義はコンセンサス重視の大衆化された政治から見れば新たなエリート主義
・小沢は戦後保守を否定しておきながら、二重権力構造・裏支配という戦後保守の負の遺産を都合よく使った
・戦後保守の担い手は自民党だけではなく自民党と対立を演じていた社会党も重要な担い手だった。方向性は違えども大衆化という点で親和性を自社両党は持っていた
・戦後保守の片棒を担いでいた社会党は独自の政治路線を見いだせないまま戦後保守のコンセンサス重視と平和主義にしがみつき、1996年の衆議院選挙以降、事実上表舞台から姿を消していく
・1999年から自民党小渕政権からは自公連立として公明党とパートナーを組んだ
・野中は保守するものは平和・反戦・国民を中産階級の国民にしていくこと
・野中は、まとまりのいい国として周辺と共存共栄していくべき中産階級中心の国づくりを志向した
・野中は、大東亜共栄圏・国家総動員といった理念先行型の恐怖と危険性を歴史的教訓としていた
・保守とはイデオロギーではなく感覚
・小泉は妥協と調整という戦後保守の本質に牙をむいた
・小泉は国民の支持率をバックに調整よりもトップダウンの意思決定を貫いた。その金字塔が郵政解散
・戦後保守は国会の意思こそが民意を反映していると考えていた
・小泉は郵政選挙の勝利によって、強力な官邸主導の政治を確立し、勝者によるエリート主義を完成させた
・小泉は二つの新たな価値観を日本の社会に植え付けた。①新自由主義②強者の論理
・大衆は、自衛隊合憲論から始まる、戦後保守が繰り返してきた理念闘争に飽き飽きしていた
・小泉の靖国参拝や拉致問題解決に向けた成果もナショナリズムを喚起した
・劇場政治は外交の舞台でも効果的に小泉の強さを演出した
・小泉外交は岸的な真の米国からの独立に回帰するのではなく対米従属になった。実際にイラク戦争の大義名分について日本では何ら詳しい検証がなされていない
・安倍は個人の自由より公共の秩序を重視する
・国家が人々の自由を守るという安倍の考え方。その理論にナショナリズムを絡ませる
・国家のためにすすんで身を投じることの尊さを強調
・安倍は左翼を徹底的に嫌った。左翼の存在を許してきたのが戦後保守だった。戦後保守は左翼に対しても寛容だった
・岸のエリート主義は戦後体制の中で大衆の支持を失い、田中の時代に至って崩壊した
・安倍政治とは側近政治
・安倍は「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となること」とした
・安倍「個人の自由を担保しているのは国家なのである」→「国家がなければ自由でない、自由を守るために個人は国家の犠牲になるべきだ」という論理の逆転が生じる危険も
・特攻作戦は、敗戦が確実の情勢で、国民に死ねと命じたもの。あのときの政府があそこまで無謀な失敗をしなければ「大義に殉じる」必要はなかった
・国家主義が行き過ぎた時代を知る人々の怒りや警戒心が岸への反発だった
・「保守派が保守主義をふりかざし、大義名分化したとき、それは反動になる」福田恒存
・安倍は社会契約論の半分だけをかいつまんでいるが、社会契約論の根底にある人間の哲学に触れていない
・安倍は東京裁判を勝者の断罪と切って捨てた
・アメリカは占領政策を通じて植え付けた歴史観、価値観からの脱却を決して許さない
・アメリカが安倍の靖国参拝を批判したのは安倍の歴史観に対し相当の警戒心をもったから
・戦後70年談話は極めて配慮に富んだ内容だった。政府の挑戦が誤ったと述べている点で談話の歴史観は東京裁判史観と一致している。謝罪外交は否定してみせたが、敗戦経験の継承を訴えている
・歴史観において安倍は岸と決別している。安倍はアメリカによってつくられた戦後保守の価値観を脱却するイメージをアピールしながらも、実は踏襲している。「戦後レジュームの脱却」も戦争に負けてしまった日本が果たせる脱却は「アメリカが許す範囲で」という条件がつく。また大衆化された政治という戦後保守の本質からも抜け出せていない