![]() | 後藤田正晴 日本への遺言 1,028円 Amazon |
http://booklog.jp/item/1/4620317446
2005年に亡くなった後藤田正晴氏。大学の卒論は、1980年代に公営企業の民営化の推進など新自由主義を推し進め、バブルの元凶となった中曽根長期政権への一方的批判的な内容だったと記憶しています。その中曽根政権を支えたのが当時官房長官だった旧田中派の後藤田氏でした。中曽根首相が自衛隊の掃海艇派遣しようとしたことを身を賭して止めたことで有名です。長期政権で名官房長官として讃えられています。あーあ、もう少し深く中曽根時代を掘り下げるか、三木武夫氏と合わせた徳島の名政治家への論考も考えるべきだったかな。
後藤田氏は、戦争経験や占領経験から権力者地位にありながら権力の恐ろしさを知っていて、権力の行使に抑制的なことは、当時の保守というものはとても柔軟だったのではないかと、推察するんですね。
おそらく、後藤田氏の晩年の発言は、今や民進党より左の「リベラル左派」に分類されがちです。それだけ東南アジア情勢が緊迫し、日本の政治や経済の絶対的優位性がすでに失われたことによる結果でしょうか。今後の日本の保守への憂いを残して亡くなった後藤田氏。この秋に後藤田氏の足跡を辿る本ももう少し読めたらいいなあ。
読書メモ↓
「この年になると時間がないということですよ。
時間がない。
これが一番つらい。
だってやらないといかんなって
個人的に思うことがいくらでもある。」
「調べないといけないこともあれば
本も読まなければなららい。
時間がない。
ここが若い人とは全然違う。」
「派閥っていうものが、
もうすっかり昔と変わってきている。
田中的な政治手法、
それと田中さんの人事のDNA、
これが30年近く続いた。
それが・・・終わりになったのではないか
そんな気がする。
そのことは日本の
政治全体にとってはね、
決して悲観することでなければ
何でもない。」
「国家というのは本当に非常だ。」
「アメリカぐらいね、戦争している、
あるいは海外派兵している国は
ありませんよ。
朝鮮戦争からベトナム戦争、
それからアフリカでの戦争、
中東での戦争、中南米の戦争、
年平和だって言って
どこかで戦ってる。
これにね、いつまでもあんた
お付き合いできますか?
だから僕はね、例の、集団的自衛権が、
これの行使っていうのはね、
それはちょっと考えたほうがいいよ。」
(対米関係は)「半保護国だよ」
(安保)
(米中関係)
「巨大なマーケットを、
アメリカが、資本主義が、
手放すわけありませんよ。」
(海外派兵とイラク戦争)
「この戦そのものがね、
間違った戦だったと、
思いますね。」
「日本の過去の
海外派兵を見てますとね、
一番失敗した例というのは、
シベリア出兵なんです。」
(自民党に)
「あまり非常な政治は
やってもらいたくない。」
(民主党→民進党)
「野党第一党というものは
どういうものか。
自由民主党とあなた
どこが違うんですか。
そこを
はっきりしてもらいたい。」
(公明党に)
「福祉と平和の立党の精神、
これをいつまでも
守ってもらいたい。」
(共産党と社民党に)
「共産党はマルクス主義はやめて、
党名を改めて、
日本の政治の中で
社民党と一緒になって、
そして社会主義的な
政党としての柱を
一本立ててもらいたい。」
「やはりどんな時代になっても
立場の弱い人、
気の毒な人は出ている。
ならばそういう人に対して
政治の光を
どう当てるかということは、
政治を担当する者の
大きな責任だと思う。」
「戦後60年の間ですね、
日本のこの自衛隊によってですね、
他国の人間を殺したこと、ないんですよ。
それからまた他国の軍隊によって
日本人が殺されたこともない。
先進国でこんな国はね、
日本だけですよ。
これは本当にね、
誇るべきことだと思う。
まさに平和主義の
いいとこなんですよ。
これだけはやはりね、
頭の中において
政治の運営を
やってもらいたい。」
御厨貴
・大正ヒトケタ世代は占領行政の中で対米屈辱感を味わっている
・権力論:権力の座にありながら常に権力の抑制を心がける、政治の運営において、たえず少数者、弱者の主張に耳を傾ける、議論の筋は通しながらも、調整によるあいまいさを大事にする
・複層的な議論を自らは主張するものの、決して他者にはおしつけなかった
・宮沢氏や後藤田氏までリベラル左派に分類される始末