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三島由紀夫のこの小説は小生にとっては、なかなかに難解です。でも三島の考え方や価値観を現した代表的な書のひとつか。戦前と戦後の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠を探した帰結が三島事件であったのだということは理解できるつもり。

 

戦前のような、日本が世界の一等国としてそれなりにふるまいつつも、戦争で人々の命と基本的人権が犠牲になった大日本帝国の反省と、戦後の矛盾を抱えたまま経済発展に偏重して突き進んだ戦後民主主義の日本とを対比して考えると、戦前の反省にしても戦後の矛盾にしても三島が直接間接指摘したように解決されていないことは事実でしょう。

 

読書メモ↓

・絶望と情熱に、それぞれ等分に住まねばならなかった。なぜなら、特別攻撃隊とは、絶望が生んだ戦術であり、しかも訓練と死への決意に絶望のひそむ余地はなかった

 

・天皇を神格化扱いしたことによって、軍部がこれを悪用して戦争をやって国を滅ぼした

 

・天皇の人間宣言には明らかに天皇自身の御意志が含まれていた

 

・三島の二・二六事件三部作は「英霊の聲」「十日の菊」「憂国」

 

・老年は永遠に醜く、青年は永遠に美しい。老年の知恵は永遠に迷蒙であり、青年の行動は永遠に透徹している

 

・死処を選ぶことが、同時に、生の最上のよろこびを選ぶことになる

 

・二・二六事件の悲劇は、方式としては北一輝を採用しつつ、理念として国体を戴いた、その折衷性にあった

 

・一億国民の心の一つ一つに国体があり、国体は一億種ある

 

・昭和の歴史は敗戦によって完全に前期と後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の根拠と、論理的一貫性の根拠をどうしても探り出さなければならない欲求が生れていていた。どうしても引っかかるのは、象徴としての天皇を規定した新憲法よりも、天皇ご自身の人間宣言

 

・昭和天皇 自分はファシズムを信奉していたのではなく、立憲君主として振る舞った

 

・「十日の菊」狙われていきのびた人間の喜劇的悲惨を描いた

「憂国」狙わずして自刃した人間の至福と美を描いた

「英霊の聲」死後の世界を描いて、狙って殺された人間の苦患の悲劇をあらわそうと試みた