- 良日本主義の政治家―いま、なぜ石橋湛山か/東洋経済新報社
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- 石橋湛山(1884-1973)は私のライフワーク?のひとつ。
- 戦前戦中はジャーナリストとして「小日本主義」を掲げ、戦前日本のアジア植民地政策に反対し、加工貿易立国への道を説き続けた石橋湛山。首相になったものの、病気で国会に出ることなく退陣。安倍首相の祖父である岸信介に首相の座を譲る。
- 大学では政治学科でジャーナリズム論のゼミにて石橋湛山をテーマに研究をさせられたことがあるのですが、当時はなんで保守反動の政治家の研究をしなければならなかったんだ?という疑問は最後まで抜けませんでした。でも、そのリベラル言論人としての評価は今となっては、わかるんですよ。石橋湛山の先見性が。
- 吉田茂も岸信介も偉大な戦後日本の指導者でもあるのですが、個人的には好きなのは石橋湛山でしょうか。それは、ジャーナリストは権力を監視する責務があるがゆえに、権力を持った政治家としての自覚を湛山が持っていたから。保守の異端児であるがゆえに。首相になってわずか二か月の病気退任が惜しまれます。戦前中の小日本主義がもっと世間の理解を集めていたら、また首相時代が仮に続いていたら歴史が変わっていたかもしれませんね。
- こういう政治家が自民党に現れて欲しいものです。今は無理ですがね。
- http://booklog.jp/item/1/4492210660
読書メモ。
・石橋湛山の精神は石田博英が受け継ぎ、それが田中秀征に流れている
・政治家にとって最大の資格は、抽象的なものに対して情熱を燃やし得るということ
・石田博英(石橋内閣の官房長官)のニューライト6つの特色
①経済成長は国力の増大という観点ではなく、国民福祉の増大、国民生活の向上という視点からみる
②マイホーム主義を積極的に評価する
③安易に物理的な力、警察力や防衛力に頼らない
④反共主義を排し、反共イデオロギー外交に反対する
⑤全体主義的な発想を毛嫌いする
⑥新しい革新の概念(時代の変化を敏感に察知して、しなやかに時代の流れに対応すること)
・大衆に媚びないけれども大衆を無視しない
湛山
・政治家は自分が欠けている。自分とは自らの信念だ。
鶴見俊輔
・「自分たちを打倒しかけるいような強い反対勢力を育てることが、保守主義には本当に必要だということがイギリス流保守主義の常識。批判されることを憎悪するところが日本の保守主義にはある」
湛山
・「申すまでもなく民主政治は、政府及びその与党の外に、健全なる野党があって、常に国民の求めるところに従い、円滑に政局の転換が行われるところに意義がある」
・「人が死んだ場合、弔意を表するために、事実を誇張して褒めたり、偉くもないのに偉いと褒めたりすることは私にはできない。同時に功績のあったものを、好き嫌いの感情をまじえて、それを没却するようなこともしたおぼえはない。どこまでも冷静に判断して、その人の値うちを明らかにする、また大勢に順応して心にもない言動はとらない。これが今日まで守り続けてきた私の信念である」
・湛山は朝鮮・台湾を植民地化する大日本主義は経済的にも軍事的にも価値がないことを丹念に検証した
・湛山「我が国民が、世界を我が国土として活躍するには、即ち大日本主義を棄てねばならぬ」「決して国土を小にするの主張ではなくて、かえってこれを世界大に拡ぐるの策である」
・湛山は経済の原理原則を踏まえた自由主義書
・佐高 大きいことはいいことだ的大雑把な大日本主義に対して、その質を問う小日本主義は、むしろ「良日本主義」という呼称がふさわしい
宇都宮徳馬
・自民党の中には、歴史的にいうと二つの流れがある
①(民権派)明治の近代政治が始まったころに自由民権運動をやり、護憲三派運動をやり、戦争になると翼賛政治に属さず野党的だった流れ
②(国権派)自由民権運動は、反国家的なもの、普通選挙はアカ、戦争中は軍人政治、ファッショを謳歌し、戦後になって極端に米外交に追従する流れ
尾崎行雄→石橋湛山→宇都宮徳馬
田中秀征
・口汚いことを言う、人を罵倒する、人を暴く政治勢力は信用しない
・湛山は1945年10月13日社論に「靖国神社廃止の議」を発表
右翼の田中清玄「靖国神社は長州の護国神社のようなものに過ぎず皇室とは何の関係もない。それを全国民の拝ませているのはおかしい」
当時でも危険な提案だった
・湛山
「靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神杜の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、都て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。」
「前述の如く、靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭ふ能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。」
・湛山が批判した「大日本主義」は性急な愛国心に裏打ちされていた
当時、主義として一つも小日本主義を標ぼうする政党がなかった
湛山1946年1月12日号「東洋経済新報」
・今回の降伏は神武建国以来最大の凶事だから、昭和の年号を廃し、本年を新日本の元年とせよ
・さらに一方進めて元号廃止、西暦使用を主張
1924年9月6日号「東洋経済新報」
・日本は維新革命の勝利者がいわゆる官僚政治の形において、国民を指導する建て前の上に発達した。官僚が、国民の支配者として、国民の指導者として国運発展の一切の責任を担う制度にならざるを得なかった
・わが政治が国民の政治ではなくて官僚の政治であり、役人が国民の公僕ではなくて国民の支配者である所以。日本は世界に希な中央集権主義であり、画一主義である根因
・官僚が国民を指導するのは革命時代の一時的変態に過ぎない
・国民が一人前に発達すたる後においては、政治は必然に国民によって行われるべきであり、役人は国民の公僕に帰るべき
・中央集権、画一主義、官僚万能主義といった行政制度は根本的改革が必要
・反岸は、つまり反官僚であり、反軍人
・湛山は戦前戦中は日本の軍と戦い、戦後は米国の軍と戦った、一貫性と愚直性
・石橋首相5つの誓い
①国会運営の正常化
②政界および官界の綱紀粛正
③雇用の拡大
④福祉国家の建設
⑤世界平和の確立
ご機嫌取りはしない
・石田博英
「保守主義者の要素は、やはり人間性の尊重ということだと思うのです。意思の自由、行動の自由、つまり自由というものをわれわれの生活信条に置く、そこが社会主義者、共産主義者と違うのであって、全体主義者に行くことはない」
・石橋湛山の思想は、とりわけ保守陣営からは異端児され、除名の危険にさらされた。岸の1960年の安保改定に共に反対した