あの戦争と日本人 (文春文庫)/文藝春秋
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12月8日を前にして、以前読んだこの本のメモを。

幕末

・自分たちの国がどういうかたちをしているか、成り立ちはどうなのか、日本人とはどういう歴史を生きてきた民族なのか、知っておいた方がいい


・勝者によって取捨選択された歴史が活字になる


・(戦争を体験して絶対に負けないと教わってきた大日本帝国が負けちゃったことで)この世で「絶対」という言葉は使わない


・飛鳥時代の大化の改新は藤原鎌足と中大兄皇子の政権奪取クーデターだった


・明治時代日本は憲法のないうちに統帥権の問題でとっくに軍事国家への道を歩き出していた


・明治維新は薩長の暴力革命、幕末から明治にかけての動くは権力闘争だった


・薩長は統帥権を手に入れて、国家の基軸に天皇を立てることを考えついた


・幕末も太平洋戦争の直前も日本全体が簡単に熱狂してしまった


・攘夷は当時の日本の国民的アイデンティティだったこれが太平洋戦争でも芽を出した


・12/8の太平洋戦争開戦時は攘夷民族の名に恥じない心の底からの感動の一日だった


・日本人は外圧によってナショナリストになりやすい、時代の空気に順応する


日露戦争


・日清戦争は日本は戦争に勝って、仏独露三国干渉によって戦略的には負けた


・明治時代は国家予算の半分が軍事費だった


・日露戦争開戦時、国家予算レベルだとロシアの国力は日本の10倍だった


・日論戦争の日本海海戦の成功は、太平洋戦争での日本軍の精神になっていく。冷静な判断よりも精神の昂揚を重視するほめられない戦略が強調された


・日露戦争の熱狂が後のアジア・太平洋戦争の悲惨さに


・日露戦争は教訓にすべきところがたくさんあったが勝ったという一点によってそれを全部消してしまった。そこからなにも学ばないまま、リアリズムを失い、太平洋戦争につき進んでいった


日露戦争後


・日露戦争後、日本人は一等国民だという情念によって動き始めた


・日本が世界の五大強国のひとつ帝政ロシアを破ったことはアジアの国々の人々を勇気づけた


・ロシアの勝ったことで、日本はアジアの中心の存在として欧米と対等に交渉できる立場になったのに、逆にアジアの人々の独立心を叩き潰すような存在になっていく


・日本はロシアに勝って列強の仲間入りをした、これからの目標は西欧の列強である、という驕りが日露戦争後の日本人にはあった=大日本主義でいくべきか、小日本主義でいくべきかの選択を迫られたのが日露戦争後の日本人


統帥権


・司馬遼太郎 世界でも第一級の歴史を持っているすばらしい国が、統帥権によって滅ぼされた


・明治という近代日本はまず軍事国家としてスタートした


・内政と外交は内閣、総理大臣と閣僚が天皇を輔弼して責任を負う、軍事に関する限りは天皇に直属する参謀本部超が司るという国家の形が明治憲法制定11年前に決まった


・日本人は言葉が作った流れに熱狂しやすいところがある。雰囲気に流されていないか、集団麻酔にかかってはいけない


八紘一宇


・もともと日本書紀に出てくる言葉


・世界を一つの国にすること、昭和史における日本の大国主義という考え方の根っこは神話の時代から


・世界市民主義ではなくて、皇室を中心とした世界の一大家族化、まさに宗教


・鬼畜米英のスローガンは日本に勝機が完全に失われたときに言い出した


・明治40年の帝国国防方針は攻撃的国防論を定めた


・八紘一宇の理想の実現を妨害するのはアメリカだと思い始めていた


・国交というものはつまらないことで疑心暗鬼になる


・「かならずしもアメリカは好きではありません。でもね、米国によってはめられている首枷をはずし、日本の誇りをとり戻す教科書、靖国参拝、憲法改正など、ナショナリズムを強く反映する政策を選択した方がいい、とはわたくしでも考えません」


・「日露戦争後に日本人はしっかりとした国家観と世界観を持てなかった過去を繰り返さないようにしないといけませんね。歴史を知ることでこれからの日本が進むべき道を、みんなして真剣に考えましょう」


戦艦大和


・超巨大戦艦・不沈戦艦をつくる、というのは貧乏海軍らしい発想


・明治40年に日本は仮想敵国をアメリカと定めていた


・日本海軍は、戦艦による最終決戦で勝利するという日露戦争の成功体験から抜け出せなかった。苛立ちが大鑑巨砲主義に軍人を走らせた


・太平洋戦争開戦時、艦艇生産力においてはアメリカは日本の4.5倍、飛行機は6倍。だからいまただちに、ということで開戦した


・大和の乗組員3332名のうち、3056名が戦死。他の艦を合わせると4037名。これは飛行機特攻隊の死者数4615人に匹敵する


特攻隊


・十死零生の特攻隊が作戦として実施された


・太平洋戦争の時点ではリアリズムを忘れて精神論主義になってしまった、日露戦争の亡霊に取りつかれていた


・昭和20年1月8日、最高戦争指導会議にて全軍特攻が正式に決定


・大岡昇平 レイテ戦記


「口では必勝の信念を唱えながら、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに神風特攻の最も醜悪な部分がある」


・坂口安吾


「戦争は凡人を駆って至極簡単に奇蹟を行わせた。奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを強要したというところにある。奇蹟でもなんでもない、無理強いに教養されたのだ。戦争に真実の自由はなく、所詮兵隊は人間ではなく人形なのだ」



原爆


・オバマは米国はプラハ演説で「核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として行動する道義的責任がある」と述べたが、核のある世界と開いた責任があるから、その幕を自らの手で引く責任があると言っているのではないか


・京都が空襲や原爆から逃れたのはスチムソン国務長官が、京都を爆撃したら日本国民を怒らせアメリカを恨むから、とリストから外した


・7月に日本がポツダム宣言を受諾していたら原爆はなかったかもしれない


8月15日


・降伏前、日本の上層部は明らかに革命を恐れていた。革命より敗戦を


・国民の安全を守ってこそ国家である。それはリーダーとしてなさねばならない最高の責任


・太平洋戦争の戦闘員の死者は陸軍165万人、海軍47万人 うち広義の飢餓による死者は70%


・海軍の海没者は18万人陸軍の海没者も18万人。これは輸送船撃沈=無謀な作戦の犠牲に


・死ぬのは名のない兵士たちで将軍や参謀たちは滅多に死なない、上に立つものはその責任も問われない方向へと世の風潮は強まっていないか


昭和天皇


・昭和15年7月近衛文麿内閣 基本国策要綱

建国以来の皇国の精神「八紘一宇」をもとにして、「東亜新秩序」を建設する と謳う


・明治の指導者は、先端を開くと同時に早期に和平にもちこむことを誰もが考えていた。幕末の攘夷政策の実行による苛烈な敗北体験が根っこにあった


・昭和天皇は、最後まで陸軍の本土決戦論を信じさせられていた


・宣戦おおよび講和の大権は旧憲法によってきめらえrた天皇大権だった




・昭和の動乱史から学ばねばならない教訓のひとつとして「熱狂するなかれ」

熱狂した世論(国民の真底の声ではなく、扇動者によってつくられた声)の恐ろしさ