- (023)私が伝えたい日本現代史1934-1960 (ポプラ新書)/ポプラ社
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・日本のマスメディアの本音と建前の隔たりは今も同じ
・満州事変はソ連からの防衛を目的としたまちがいなく侵略戦争
・北一輝「天皇は平安の昔から権力者たちに都合よく利用され、あしらわれてきた存在である。万世一系で神聖にして侵すべからざる存在などではなかった」
・北一輝に日本改造法案大綱(天皇と国民の間に入って関係を切り裂いている富裕・貴族階級、政治家などを取り除き天皇と国民を直接結び付けるための武力革命が果たす役割)が二.二六事件の骨格
・昭和の戦争は、日本の情報収集能力がきわめて劣っている、あるいはいいかげんであった、日中戦争、太平洋戦争では、この情報力不足という欠陥がいたるところにあらわれている
・日本が、盧溝橋事件を丸く収めようとせず、日中戦争を拡大させた要因のひとつは、根強い中国蔑視にあった
・南京大虐殺は、歴史学者秦郁彦の「4万人説」に同意する(田原)
その原因は南京に攻め込んだ日本軍に兵站部隊が追いつかず、略奪に及んだこと、捕虜を収容する施設がなかったこと、中国軍が正式の降伏をせず逃げ出したこと
・日中戦争時は国内の景気もよくやめられなかった
・軍隊は戦争状態にあるときが最も管理しやすい
・松岡洋右はアメリカ通で、アメリカには万が一にも勝てるなどとは考えていなかった
・松岡は、アメリカに対抗するために日独伊三国同盟を結び、それにソ連を加えようとしていた
・東条は軍人官僚であり、世界の情報についてはまったく無関心だった
・大東亜共栄圏構想というのは表向きの目的はアジアの独立と解放、実際は日本の利権を得ること、ドイツの勢いによって仏蘭英の植民地が空き家になる際に日本が支配する事実をつくりあげようとした
・日本の対米交渉はアメリカに暗号が解読され筒抜けだった、これが太平洋戦争の敗戦の原因でもある
・石油のためのインドシナ進駐は日米関係を悪化させた
・昭和16年当時、日本の石油は8割をアメリカに、2割をオランダ領東インドやボルネオに依存していた
・日米の国力差は、戦力で1:5、鉄鋼生産で1:10で勝てる見込みはまったくなかった
・聯合艦隊司令長官の山本五十六は対米戦争で1年は持ちこたえられるが2年目からは全然勝算はない、と近衛に語っていた
・アメリカは近衛内閣末期から日本と本気で交渉する気持ちはなかった、日本側は東条内閣になっても戦争を避ける道を見つけようとしていた
・天皇も東条も収集のつかない内乱を暴発させるよりも自分たちが主導権を持てる戦争を選んだ
・アメリカは日本側の暗号をすべて解読し、真珠湾攻撃の半日前には戦争通告の内容を知っていた
・日本軍は東南アジア占領後は何の戦略もなかった
・ミッドウエーでは開発されたレーダーで日本海軍の暗号電報は解読され、盗聴されていた
・ガダルカナルの戦争では、陸軍33,000人のうち、戦死8,000人餓死(戦病死)が11,000人
・山本五十六の戦死はアメリカ側に日本の秘密情報の解読にあった
・原爆投下は、ソ連が参戦する前に日本を降伏させたかったため
・田原とキッシンジャー
田原「アメリカが原爆を投下し、多くの一般市民を虐殺したのは戦争犯罪ではないですか?」
キ「もし原爆を投下せず、日本が本土決戦を行っていたら、これの100倍の死者が出たはずで、あなたも生きていなかったのではないでしょうか」
田原「本音はソ連参戦前に強引に決着をつけたいというものではなかったのですか?」
キ「ソ連が本格的に参戦していれば、日本は朝鮮半島のように(分断)なっていたかもしれない。そのことをどう判断するのですか」
・太平洋戦争の日本人の死者は310万人、この戦争は侵略国同士の戦争
・日本は情報力が決定的にお粗末で、外交戦略を誤って世界から孤立し負ける戦争を始めてしまった
・田原、1945年の敗戦で価値観が夏休みの間に180度転換した。偉い人の言うことは信用できない、常識は根本から疑わなければならない
・新憲法、吉田茂らは喜んだ~自衛権を許さずアメリカに守ってもらいながら経済復興発展のために全精力をかけることができる、と考えた
・吉田は国家正当防衛は有害だ、と国会で答弁した
・五百旗頭「マッカーサーは昭和天皇に戦争責任ありとわかっていながら、占領統治のためにそれを問わなかった。天皇を支持したのではなく利用した」
・宮沢喜一「日本人は、押し付けられた洋服に体を合わせて着こなすのが実にうまい。ただし、自分に合わせた服を作るのは苦手」
・昭和電工事件はGHQの内部抗争が引き起こした愚劣な事件(芦田内閣つぶし)
・1948年対日政策の転換
「日本を対象とする安全保障、日本を連合国とならないように弱体化させる政策」→「西側自由主義陣営にとって日本を役に立たせるための日本強化策」+日本を共産主義へのアジアの防壁とする政策に転換
・非武装日本の実現と平和条約のかわりに、米軍の日本駐留権を認めるという取引
・吉田は軍部の暴走がこの国を滅ぼしたと心底思っていた
・朝鮮戦争が勃発するとGHQはレッドパージを行った
・1951年9月8日サンフランシスコ講和条約の裏で吉田一人が署名した日米安保条約
・岸信介は戦前ドイツ型の国家社会主義を志向していた
・岸は社会党入党を図った、国家社会主義と重なるから
・岸は抜群に頭がよく、切れ味がよく、尋常ならぬ資金の潤沢さ(戦争賠償金によるマネーロンダリング)があった(加藤六月・宮沢喜一)
・アメリカは岸に絶大な信用を置いていた
・日本人には軍備は戦争の抑止力であり、最終的には平和の政策のために貢献するという議論はなかなか理解できない(岸の分析)
・日米安保に反対する国民の最大の心配はアメリカの戦争に巻き込まれることを岸はよく知っていた
・岸は自分の首と引き換えに改正安保条約を通した