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今日は原爆の日。
まずは、広島原爆投下の70年目に黙とう。この日を避けることができなかった歴史に向き合わねばなりません。


2015年8月某日、上京の際に戦後70年目の節目に今年二回目の靖国神社の参拝をして参りました。戦後70年の節目に靖国神社に祀られている戦没者にお参りをするためです。

もとより、センターレフトを自負している小生としては、これだけ様々な政治的な問題にもなっている靖国神社を取り巻く国内外の人々の様々な想いや知っておいたほうがいいことを整理整頓しながら、できるだけ客観的な状況と主観的な思いを書いておきたいと思いました。まだまだ小生は靖国神社を知らないですし、靖国神社を知ることは歴史館や価値観、また人生観を知り試されることにもなるからです。

靖国神社は、その前身である「東京招魂社」として、帝国陸軍の事実上の創設者大村益次郎(長州)が特に尽力し、自ら指揮した戊辰戦争で亡くなった明治政府側の戦死者を祀る施設として成立しました。

それから靖国神社は、国のために命を落とした人々を「奉慰顕彰」する施設として、幕末維新・戊辰戦争・明治維新・西南戦争・日清日露戦争・第一次第二次大戦に至るまでの戦没者、2,466,584柱の戦没者が御祭神として祀られています。

ここで知っておかないといけないのは、靖国神社が言う「奉慰顕彰」とは、戦没者の霊魂を慰め、奉り、功績を称えることを意味します。戦没者の顕彰が靖国神社の本質だと言えます。

靖国神社に祀られるには、合祀のおおまかな基準があったのですが、それは官軍・正規軍の軍人・軍属の戦時における戦死・戦病死である(平時の殉職ではない)、ということです。戦前までは旧陸海軍が審査して天皇が勅許し、戦後は一宗教法人となった靖国神社が旧厚生省から提出された名簿をもとに決定しています。

例えば、幕末の志士であった吉田松陰や坂本龍馬らは戦死者ではありませんが維新功労者として祀られていて、同じ維新功労者でも西南戦争でという反乱を起こして戦死した西郷隆盛は祀られていません。乃木希典のように明治天皇の崩御に際し殉死した軍人も平時ということで祀られていません。

そして、長年外交問題となっている「A級戦犯合祀問題」は東条英機・廣田弘毅ら14名のA級戦犯に対して、当時の宮司松平永芳(松平春嶽の孫)が「国際法的に認められない東京裁判で戦犯とされ処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているから、合祀するのに何の不都合もない」という見解のもと、独断で1978年になって合祀されたことによるものです。

松永氏によれば、「太平洋戦争(靖国神社では「大東亜戦争」と呼称)の終結は政治的には1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効日であり、政治的には東京裁判中も戦争が続いていた。したがってA級戦犯は連合国によって「戦死」した」という解釈だったとされています。むろんこれは世界基準では理解されにくい歴史観と言っていいでしょう。

A級戦犯に対してももちろん様々な見方や想いが存在します。しかし、靖国参拝をすることは、靖国に祀られてしまった彼らA級戦犯を顕彰することを間接的に意味してしまう可能性がある。そのことは、東京裁判に対する異議を申し立てているともとれる「靖国史観」が、東京裁判を受け入れを前提とした上で発効したサンフランシスコ講和条約との間に矛盾が生じるからです。これは、靖国参拝をする人々にある種の覚悟を求められているとも言え、この解を探すのはなかなかの難題でもあるのです。

こうして靖国神社の歴史を見てみると、靖国神社の「神々」は、国のために命を落とした特定の人々をお祀りしていることになりますね~明治維新の際の旧幕府側の戦没者は祀られていませんし、西郷隆盛は歴史上様々な解釈が存在しますし愛国者としても概ね尊敬されているとしても、靖国神社には基準に合致しないので当然祀られていないわけです。それが靖国神社なのですから。

靖国神社に祀られている「戦没者」、2,466,584柱のうち、2,342,341柱は満州事変以降15年戦争の戦没者。実に94.9%が靖国に祀られている。いかにこの時代の総力戦の犠牲が大きかったかを物語っています。また、太平洋戦争での戦没者は310万人、うち軍人が230万人、またそのうち140万人が戦病死・餓死とされていて、約6割にのぼります。

「英霊」の半数以上が餓死したのが先の大戦だったということなのです。国策の誤りはこれにつきるでしょう。この方々が愛国者だと顕彰するだけの思いでいいのか一面的な見方としては出来ないのではないでしょうかね。

靖国神社はいろいろなことを教えてくれます。こういった事実を認識すると、靖国神社への想いは先の大戦に対する認識もそう、戦没者の顕彰だけではない戦争への歴史認識などに対する一定の見解を持っておくことが日本人としても大切なことなんだなあ、と強く思うのですね。少なくとも、この神社が成り立ちと歴史と趣旨からして不戦の誓いをする場ではないことは確かなのです。

歴史は、日本しか通用しないドメスティックな歴史観だけでは、先の大戦の失敗のように国際情勢を見誤って国策を誤ることになり兼ねませんし、かといって戦勝国史観だけを受け入れることも日本人の心情にとっては違和感があることでしょう。アジアの甚大な被害に日本が当事者としても大きく関わっていて、その面の検証がまたまだ充分でないことも事実。

靖国神社の経緯を理解し、祀られている人々の歴史に思いをはせるともに、靖国神社に祀られていない、先の大戦で命を落としたすべての国の人々にも思いが至るようになればいいと思っています。その場合、靖国以外の場でも一連の物事を考え想うことも必要だという認識を持つに至りました。まだまだ課題が多すぎてなかなか心の整理がつきませんが。