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日本を「第二のふるさと」と公言するフォルカー・シュタンツェル駐日ドイツ大使の言葉。

知日ドイツ人の言葉に耳を傾けてみます。



「私たちは侵略者でした。戦後になるとまわり国すべてが私たちの犠牲者でした。もし、もうドイツのことを恐れてほしくない、協力してほしいと思うならば、自分の考えを他国に押し付けるのを控える以外にありません。もちろん、私たちの欲求を一切受け付けなかったわけではありません。しかし、その時には欧州を多国間の枠組みで進めました」

「敗戦から学んだのは自制は文化だ。」

「日本もひどい戦争をおこし、そしてその戦争に負けた後、ドイツと似たような結論を導き出したのだと私は考えています。経済発展に専念し、国家を再建するけれども、決して自分の意思や利益を他国に押し付けることはしない。自制とは賢い政策です」

「不幸にも日本とドイツは環境に大きな違いがあります。欧州では私たちだけでなく、フランスなど私たちの犠牲者であった国々も和解を望んでくれました。そして彼らと一緒に、EUをつくるという事業を成し遂げることができたのです。しかし、日本の場合はアジア連合のような事業はありませでした。中国は共産主義国家だし、韓国はかつて軍事独裁でした。これらの国は民主的パートナーにはなりえませんでした。同じ立場に立って多角的な協力を政策として進めることは、私たちよりもずっと難しかったと思います」

「二つの原子爆弾を被った国として、日本の多くの人々は、犠牲者になったとの感情も持ちました。日本にとって戦争の責任を受け入れることは、私たちよりも難しかったと思います」

「日本は、どうあっても自制を続け、その文化の中で行動するでしょう。その意味で憲法の条文は必要ありません。しかし、それは隣国が安心するための助けになります。東京で何があっても憲法9条があれば安全だと皆が知っています。私たちにとては、かつてNATOへの統合が非常に役に立ちました。首都で何が起きても、隣国は私たちが軍隊を独自に動かせないことを知っていました」

世界は、国連に代表される戦後の戦勝国が政治的にリーダーシップをとっています。
元首相石橋湛山が戦前戦中から「小日本主義」を唱えたように、
日本は、遅れて近代化した国家として、敗戦国としての現実的な生き方がフォルカー氏の言う経済に力を持っても政治外交では小国を続ける「自制の文化」にある、ということが日本人の現時点での現実的な生き方だ、と説いているように思えます。繁栄と安全が憲法9条で保障されている面も古くて新しい視点でしょう。