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最近改めて気づいたことがあります。


といっても、第三者から見たら当たり前だと思っても当人が気づかないような愚かも知れません。


私は、自分の人生哲学として


・縁あるすべての人がもっているそれぞれのすべての価値観を尊重すること

・自分の考えを他人に押し付けず、触れてはならないことには触れず、他に見習うべきところを素直になって反省しつつ自分の新しい考え方として取り入れること

・世の中で 絶対で唯一でこれでなくてはならないものはおそらくない

一つの正義に対して、逆方向に等量等質の正義が必ず存在する


こういうものを自問自答し、日々迷いながらも持っているつもりです。



こういう考え方は、「弁証法」に近い。


弁証法とは


「この世のすべての概念が、正(テーゼ)、反(アンチテーゼ)、合(ジンテーゼ)の三つに分けられるという考え方や、その方法」


ということですが、


テーゼ(定義)=1つの意見、を主張し、それに対して反対の意見、アンチテーゼ(反対の定義)、2つの意見から、新たな高次元な見識「ジンテーゼ(総合)=1つの結論、を生み出す方法とも言えます。


こうあるべきだ、という理念主義的なものはいつも持っているつもりなのですが、それを目の前の現実と緊急時にどう対処できるかがホントは問われているのでしょうね。それが俺の弱点だろう。おそらく。