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大阪市長の橋本徹氏は「時の人」となっている感があります。
次期衆院選を見据えた国政候補者を養成する「維新政治塾」に3000人以上の応募があったというからその人気度からすれば、国政選挙で戦えば大きな勢力になるに違いありません。
その原因は何にあるんだろうと、日々考えていますがもちろん結論は出ていません。
どうしても感覚的になるのですが、
日本の閉塞感は今に始まったことではありません。(経済発展はしているのですが)平成に入ってからずっとなのです。
民主党への政権交代が自民党の長期政権の問題を払拭することもままならないまま混迷が続いている。
それを打破する可能性を抱かせているのが橋下氏なのでしょう。
これはあくまで感覚的なイメージ私見ですけれども、
氏の政治思想って、同じ番組の仲間だったと言っていいい島田紳助氏と似通ったところがあって、自分たちの敵味方をはっきりさせて異端児を排除するようなところ、新自由主義・構造改革派を感じるんです。公務員や既得権益者を守旧派に仕立てて市民を味方につけてあたかも原因が彼らにあると見せるところなんか。(実際はそのとおりな部分もあるのだが)
小泉政権が5年の長きにわたって続いたのは、良くも悪くも、仮想敵に向かって改革する(ように見せる)姿勢が国民に受け入れられたから。
「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」
It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.
という英チャーチルの言葉があるように、民主主義とは迂遠なもので、そのデメリットをカバーするリーダーシップとか実行力とかを大衆は求めているものですし、それもまったく間違っているわけでもありません。
「大阪都構想」の実現のためにどうしようとしているのか、橋下氏のインタビューが朝日新聞2/12朝刊に掲載されていました。
氏の主張はこうです。
・政治家として実現したい日本社会の姿は今の世界トップの生活レベルを維持すること。そのためには、国民の総努力と競争に勝つこと、が必要
・行政サービスは一方的に供給するものではなく、ユーザーが選択するべきもの
・「維持」するための「選択」や「競争」するための「覚悟」が国民に必要で、その号令をかけるのが政治だ
・いったん格差が生じても、事後調整型の格差是正をする
・政治とは有権者が選んだ人間に白紙委任に近い決定権を与えて、決断させるもの
・永田町や霞ヶ関だけで複雑多様化した日本全体を動かすことは無理。だからまずは明治以来続いてきた社会システムや統治機構といった仕組みを変えなければ政策は実現できない=すなわち既得権益の代表者では実現できない
・道州制の実現に力を入れる
・政治家としての調味期限を見極めて大阪市長としてきっちりやりきり、(塾で)国会議員を育てる
氏は、弁護士出身ですから、法律を熟知していて、法の重みとその問題点をよくわかっています。挑戦状をたたきつけるかのような言動も裏付けがあるのでしょう。
道州制にしても、私は20年以上前に大橋巨泉氏の番組「巨泉のこんなモノいらない!?」に道州制が出てきてとても新鮮に思ったことを覚えています。それが議論の話題として上がっていても進まない。
日本が抱える構造的な問題は以前からわかっていたにもかかわらず、政治が結果としてそれらの問題解決の役割を充分果たしているわけではなく、責任を他人に求める犯人探しと誰も責任を取らないなかで、
府知事としての実績と、市長への鞍替えという一見常識外の「奇策」で目標に邁進しようとする橋下氏に幅広い支持が集まっているのでしょう。
格差是正のために、格差を容認する、構造改革路線は小泉以後、世の批判を浴びました。それは、政治は分配をするべきだという原理原則に反する部分であっても、世界のグローバル化に遅れをとってはならない、とされた時代状況がありました。(小泉・竹中路線が、グローバル化に対応したのかは見解がわかれますが)
国民所得が下がり、資産家は配当などで労働によらない所得を得られる。政治は分配の論理なので、もともと所得の再分配の役割(これも公務員を養う財源も大きいが)を果たしているのが税なのだから。
橋下氏の考えには賛否両論ありますが、
盲目的に賛同することなく、かといって国の仕組みを根本的に変えようとする一部の政策に期待と注視をしながら、自分なりの冷静な見解を纏めて参りたいと思います。
