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私は、京セラの創業者稲盛氏を尊敬すれどすべてを妄信して認めているわけではありません。

佐高信が稲盛批判をするのは「京セラ従業員の墓」をつくるような独善的な成功者像があるから、といった指摘があるのですが、確かに、自分が正しいことを絶対視して他人にそれを押し付けることだけは避けたいと思うものです。


とはいえ、すごい人なんだし、JALの意識変化は感じるところで、納得できること、本質的普遍的な物事、こうあるべきだ、と思ったことは書き留めておいて損はありません。


ということで、メモメモ。



「どのような社会・時代にあっても本能を抑え、きれいな心で生きること」

「どのような環境であったとしても学ぶ心のある人は必ず伸びていく」


「働くということは、まずは家族や社員を食べさせるという利他の精神がある。利他が実現してはじめて企業を経営して利潤を得るということが生きてくるのではないか。すなわち利潤を得ることは利他行が含まれるのです」


「世代は交代しても、人間が起こす間違いは、やはり、絶えず繰り返されるものです。自分自身を客観的に見る素直さを持ち、過去の失敗から学ぼうとする謙虚な心を持って一生懸命努力することが必要なのです」


「商いとは、信用を積み重ねてゆくことです。しかし、私はまだこれ以上のものがあると思っています。商売の極意とはお客様の尊敬を得ることだと思います。ビジネスをする人間が身に付けるべきは哲学なのです。言い換えれば人を自然に敬服させる器量なのです。これが長期にわたる事業の成功につながるのです。」


「京セラのミッションは


「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する」


ですが、これで全従業員が共有できる大義名分が生まれ、一生懸命に頑張ってくれました。」