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年度末ですね!


今月は東日本大震災一色の月でしたが、

この犠牲の大きさ、悪影響と今後の不透明感は大変なものでした。



検索は、するな。/安田 佳生
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以前、このブログで安田氏の読後感 を書いたことがあります。

安田氏が経営するワイキューブが民事再生法を申請したニュースが入ってきました。


ブログ にあるように、多くの名語録を残して共感した者として残念な一方、同じ経営者の一人として

今して思えば論外の部分があったことも認識し、自戒せねばならないと思いました。


それは、


安田氏の経営思想にあります。


ワイキューブは2007年度は約46億1400万円の売上が最盛期だったそうですが、2010年は約14億8000万円の売上げに対して負債は約40億。年商の三倍近い負債を背負っていれば倒産も止むを得ないと思います。


企業の理想は無借金経営であり、負債があったとしても月商の三ヶ月分以内にするような経営にするために、最低限の月次決算、出来れば日時決算を経営者は把握しておかなくてはいけません。


ワイキューブは、社員を大事にする会社として、高額な年俸、ワインセラーやバーを設置したモダンなオフィスづくり、タクシー通勤を奨励といった、社員にモチベーションを与えた上で実績をあげてもらう手法だったように見えます。


氏のコラムを引用します。


「私は共産主義者ではないが、
資本主義的経営とはつまるところ搾取ではないのかと、
考えずにはいられなかった。
億単位の年収を取っている経営者の中には、
確かにその年収に見合うほどの仕事をしている人もいる。
だがそのほとんどは、
経営者であるという立場によって収入を得ている人たちだ。
労働による収入ではなく、権利による収入。
実際、それこそが「金持ち父さん」が標榜する
成功のイメージなのではないのか。
働かずに高収入を得ることこそが、
資本主義経済における究極の成功者なのだと。」


「どうにも私は気持ちが悪く、後ろめたい気持ちがなくならなかった。
この後ろめたさを無くすにはどうしたらいいのか。
社員の生産性を高め、出来るだけ高い労働分配率で、
払える限りの給料を払う。その結果、
社長よりも給料の高い社員が現れてくるかもしれない。
だが、それこそが社長の目指すべき究極の姿なのだと、
確信するようになった。そして実際に私は、
払える限りの給料を払うという決断をしたのだ。
その結果・・・組織は機能しなくなった。」


「何よりも搾取の無いシステムこそが究極なのだと信じていたのだ。
若かったのか、バカだったのか、
いずれにしても私はやってしまった。
そしてそれが間違っていることを確信した。」


「リーダーは全ての労働者から搾取しなくてはならない。
特に、よく仕事ができる稼ぎ頭からは、
たくさん搾取しなくてはならない。
それが私の行き着いた結論である。」


「一生懸命に働いて、出来るだけ多くの成果を上げる。
その成果を下回る給料しか、リーダーは与えてはならない。
それがリーダーの仕事なのだ。
自分が出した成果よりも少ない報酬を得る。
そうすると、そこに余りが出る。
その余りの積み重ねが社会の貯金になるのだ。」


「リーダーとは、嫌われながらも社員から吸い上げ、
それを会社の豊かさに変える人。
国民から吸い上げ、社会の豊かさに変える人だ。
この豊かな国を冷静に眺めていると、
私たちの祖先がいかに偉かったのかを実感できる。」


氏は冷静な理論家で、決してバブリーな人間ではないことが著作からもわかったから共感もできたけれども、


氏は歴史・古典に対する認識不足でそれらを土台にしない冒険をして経営してしまった。

前衛理論家・研究者であっても、経営者としては結果的に失敗してしまったのでしょう。


少なくとも氏がマルクスを学んでいれば、と。


正しい認識と正しい理論が成功するとは直接関係ないのがこの世の中です。

短期間でお金持ちや成功者となった人々は注目もされ刺激も受け、学ぶことは確かにあるのでしょうけれども、


でも長く生き残っていくのは、


冷徹な計数管理と他人に共感を得られるような愛情と熱意、時代の変化に合った柔軟さと寛容さ、顧客と社会への支持と貢献への真摯な姿勢・・・その元となる歴史や古典を通じての教養や造詣の深さ。


そういった物事の本質を見極めて、見につけている人が生き残るのだと思いますし、そうなりたいと思います。


でも、前衛理論家安田氏の失敗は私に対する警告です。


震災の被災により、どれだけ人的な損失が出て、どれだけの会社が倒産し、社員が路頭に迷うことでしょう。


日本国債よりも安全な社債と言われ、絶対に潰れないと言われた東電は原発事故により、国有化の検討対象になっています。一寸先は闇です。


正しい認識が正しい行動と結果に結びつくとは限りません。でも、いい結果を求めるために手段を選ばないことも長く見れば綻びが見えるということ、ホント気をつけないといけないと思った次第です。