1/12
タイガーマスクの主人公伊達直人を名乗る人物が恵まれない子どもたちのために贈り物を匿名で届ける運動が全国的な広がりを見せています。
経緯はともかくとして、マスコミに取り上げられることが宣伝効果になることはとてもいいことだと思います。
世の中の変化や動きを報道するのがマスコミの役割であるけれど、
変わらないこと、社会の矛盾や不公正に光をあてることも必要だからです。
世の中は「持てる者が持たざる者に何らかのものを提供すること」で成り立っています。
これは、お金だけではなく製品やサービス、技術ノウハウ、情報から時間もそうです。
言い代えれば
持っているものをもっともっと提供し合うことができれば社会はもっと健全に成りうる
のだと思います。
さて、この運動、「陰徳」という言葉を思い出します。
「陰徳」とは「人に知られないようにひそかにする善行」で、中国の逸話で「人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある(有陰徳必有陽報)」からきているそうですが、自利利他といった言葉でも応用がなされています。
先日、こういうことがありました。
レストランで、親しい後輩がその友人とたまたま隣同士の席に居合わせたので、「先に精算してこっそりご馳走しようかな?」と思って先に精算する際に店員さんに「お隣の席の精算もできますか?」お聞きしましたが、レシートがないので断念したことがあります。
タイガーマスク運動は、動きのある世の中に目立つタイムリーな運動です。
でも、これは今までの慈善活動にスポットを当てるものではなくて、一時的なものになる可能性が大いにあります。
匿名での寄付はそれこそ「陰徳」の名に相応しいけれども、これは一方頂く側、寄付を受ける側の事情や立場を配慮したものかは疑問です。
いいことはいいことだ、と思ってすることはとっても大事だけれども、いいことと思いこんでいることが相手が求めていることかは必ずしも分からないものです。相手への配慮というものは本当に難しいものですね。
レストランでの話も、ごちそうすることを断念したのは、レシートの件もそうだったけれども、親しい後輩だけではなくその友人も一緒だったのでその食事の趣旨や関係を知らずしてごちそうしてあげる、というのも失礼な話だったかも知れないと自省しました。
この運動、一過性のものではなくそれなりの双方の配慮の上でうまく続いてくれたらいいのですがね。