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今月、ポーランドの古都クラクフに近いホロコーストの現場となったアウシュヴィッツ 強制収容所に行って参りました。




これについてはたくさん資料がありますので、詳細は割愛しますが、


広島の原爆ドームと並んで、「人類が犯した悲惨な出来事を思い出させ、そうして悲劇が二度と起こることのないよう戒めとするため」の負の世界遺産 を訪れるときの気持ちは確かに重苦しく決していいものではありませんでした。




でも、日本はイタリアとともに、第二次世界大戦においてドイツと軍事同盟を結んでいた立場なわけで、


その戦略的誤りだけでなく、「結果として」ナチスによるユダヤ人撲滅政策を追認していたことにもなり、日本人としてまったく無関係とは言えないでしょう。




これもかつて、2007年にリトアニアにある元リトアニア領事杉原千畝 の記念館を訪れたときの記憶と重なります。杉原氏は当時日本政府の方針に反して、約6000人のユダヤ人らに「命のビザ」発給を続けた立派な人物として評価されています。



さて、有名なアウシュヴィッツ第一強制収容所入口はドイツ語で ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と書かれていますが、強烈な皮肉ですね。




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奥に見えるのはイスラエル国旗を身にまとったイスラエル人の学生たち。


彼らは修学旅行で訪れる場合が多いと聞きました。ユダヤ人迫害と誇りの歴史を実地で学ぶ、ということなのでしょうね。






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ガス室です。

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ガス室の隣にある、人体焼却炉です。

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「チクロンB」と呼ばれる処刑用毒ガス。

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これらは復元されたものも多いのですが、連行された人々から没収した


荷物や日用品は現物です。


また、没収された子ども服や子どものオモチャを見るのはさらに痛ましいものです。女性の死体の髪の毛とそれを原料に織ったカーペットも。




銃殺場「死の壁」

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第二収容所

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ここはまさしく、強制収容所の側面と殺人工場の両面を持っています。




ここで、大事なのはやはり事実を知っておくことでしょう。


アイシュヴィッツで殺害されたり亡くなった人は正確な数字はわからないそうですが、


ユネスコによると120万人ともいわれています。




数字の大小は諸説あれ、ホロコーストがあったことは事実として認識しておくべきことでしょう。




普通の人なら見た後にしばらく食欲はなくなるでしょうけれど、一生に一度でもいいので訪問することがあれば、


いろいろと考えさせられることがあろうかと存じます<(_ _)>