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今年は、ツイッター元年となるようは雰囲気ですねo(^▽^)o
ヤッピイも友人の勧めもありまして登録しました。
「つぶやき」のイメージは、深い思考の中で産み出されたものは少なくて、
その場その場での感じたことや、本音まじりのことをツイッターに掲載して、
伝えたり、自分で確認するものだ、と理解しております。
人それぞれの思いを知ってもらう、知ることも大事なことだと思います。
これがマスコミを賑わすニュースとなったり、人的ネットワークの構築に繋がったり、
ツイッターの運営を通じたビジネスが生まれる可能性があることは素晴らしいことだと思いますね~(-^□^-)
ただし、メリットばっかりではなさそうです。
つぶやき、そのものが熟慮した内容でない可能性が高い以上、
裏付けのない誤解があったり、誹謗中傷があったり、もちろんプライバシーの問題もあったり。
物事の見方考え方はその人が経験したこと見えるものの範囲内でしかないわけですから、
その人の考え方を理解すれば、つぶやきの内容もよりわかるだろうし、
つぶやきの積み重ねを知ることが、その人の考え方を理解することになるのでしょう。
ヤッピイが心配しているのは、
「ツイッターが弱者の立場を認識しない、強者の論理」にならないか、ということ。
これは、ブログでもSNSでも同様かも知れません。
自分のことを知ってほしい!
前向き素直勉強好きになろう!
自己啓発しよう!
これは大いに結構なことだし、
「我以外皆我師」
を座右の銘の一つにさせていただいているヤッピイからすれば、学びたい人は自分以外のすべての人なのですが、
世界は、日本は、相対的な問題はあれど矛盾と理不尽と、争いと、不幸の連鎖の固まりです。
インターネットや携帯電話を使える環境にみんながあるわけではありませんし、
そもそも、様々な理由でみんなが平和に経済的問題もなく、自分の力で自分のことが決められる環境にあるとは限りません。
それを考えると、自分のことを伝えることは
善意で言うと、知ってほしい人に知ってもらうこともあるし、
悪意で言うと、それを吹聴することになりはしないか、ということなのです。
自分のつぶやきや日常や考え方を記録することが大事なんだ、ということを認識しているつもりで、
様々なメディアを利用させてもらっている立場ではありますが、
他人から見れば、考え方が違ったり、不快に思ったりすることは必ず出てくることでしょう。
そういう意味で、ヤッピイは強者ではないけれども、無意識に強者の論理を押し付けて他人を傷つけることは
出来るだけしないように、日々配慮を怠らないようにしたいと思います。
とはいえ、ツイッターは人の繋がりをつくったり、人を救ったり役に立つ可能性が高い媒体です。
要は使い方なのですから、いい使い方をされている方の方法を参考にさせていただきたく存じます。
でも日常ツイッターをする時間的余裕はありません。
そもそも、知ってほしいという欲求はこれでも恥ずかしがり屋で希薄だ、としておきましょう(^▽^;)