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中国の次の指導者、習近平氏が来日して天皇と面会しますが、
これが従来の宮内庁の慣例である、天皇と外国要人の会見は、1カ月前までに宮内庁に申し込む、「一ヶ月ルール」に抵触したことが、賛否両論の話題になっています。
賛成派からしたら、「憲法の解釈の範囲内で問題はないし、中国との関係を大事にしないといかん」
反対派からしたら、「中国につけ込まれるな。小沢一郎による天皇の政治利用じゃないか」
という主張になることでしょう。
ここで気になるのは「天皇の政治利用」という言葉です。
日本政治の歴史って、天皇の歴史でもありますし、天皇家の親政時期を除けば、まさしく「時の権力者が天皇をいう権威を政治利用してきた歴史」だからです。
かつては、
藤原道長が天皇と姻戚関係になることで権力を握る摂関政治でしたし、
武士の時代も、平家・源氏・北条氏・足利氏・織田信長・豊臣秀吉・徳川氏。
いずれも天皇を奉じて権力を握ってますよね。
明治維新は大衆が国家を意識させ、その意識を統合させるための象徴となった天皇を奉じたのが
明治政府=藩閥政府の権力でしたし、
戦前の軍事と政治権力の後ろ盾となったのが天皇の権威だったのです。
戦後が議会制民主主義としての形づくりができたと言っても、政治権力は憲法の言う「象徴」と長い歴史を持つ天皇を権威付けとして結果的に利用し続ける本質は変わっていないように思います。
この問題については、まだまだ勉強不足ですが、歴史的な本質を押さえておくことと、批判も許容する社会でないといけないことは確認しておかねばなりません。
そう、あんまり自分勝手な輩ばかりの世の中も許せないけれども、
「天皇のために命をささげなさい」と強制された歴史があることも忘れてはいけないのですから。
天皇の象徴としての立場と市民の権利が対立してはいけないのですから。
そう見ながらも、以前記したであろう、
ロイヤルファミリーが日本の歴史の中でずっと続いてきた理由を知りたいと思っています。