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昨日の続き。
・「夫婦というのは社会的な役割行動に縛られたものであり、それを取り払ってみなければ、そこに本物の愛があるのかどうかもわからない」
・「何でも自由にしていいと言われたら、人は判断の基準を失って途方にくれるのではないでしょうか。自由というのは大変な困難を伴うものです。愛する自由を手にしたことによって、愛からますます遠ざかってゆくという皮肉がそこにあります」
・「幸せになるため、というお手軽な考え方によって選ばれた愛は、いくらでも代替可能な愛、になりかねず、愛が消耗品になっていく恐れがあります]
・「人間というものはこの地球上で唯一考える動物です。この地球上に種の保存以外の目的でセックスする動物は人間以外にいませんし、愛すゆえに相手を殺す動物もいません。」
・「愛する相手を消滅させたくなるのは、人の心は刻々とうつろうから愛が冷めるのが恐い。だから相手を最高に愛しているときに消滅させ、相互の愛情が最高に高まっているときに終わらせたい、という気持ちになるのではないでしょうか」
・「愛のあり方は刻々と変わる」
・「愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。その意欲が続く限り、愛は続いており、意欲がなくなった時点で愛は終わります」
・「生きている理由は、先祖から遡って数千年続いている人の習慣を、自分一代で断ち切ってはいけないから」
・「自分の命は自分のものではなく、父祖から与えられたものである」
・「他者を承認することは、自分を曲げることではありません。自分が相手を承認して、自分も相手に承認される。そこからもらった力で、私は私として生き、意味が確信できた」
・「意味を確信している人はうつにならない。確信できるまで中途半端にしないで、まじめに悩みぬく」
以上の内容をもう一度まとめます。
・「私」とは何者か
自我とは、、「私とは何か?」と考え続けることであり、自我は「まじめ」に他者を向かい合う相互認証の中でしか生まれない。
・世の中すべて「金」なのか
資本主義社会のなかで、お金は不変の価値を持つが、意味が目的化する危険がある。
お金は使う人の道徳やモラル意識で変わるので、できる範囲でお金を稼ぎ、使い、心を失わないためのモラルを探りつつ、資本の論理の範囲の上を滑っていくしかない。
・「信じる者」は救われるか
・「知ってるつもり」じゃないか
知性とは、学識・教養に加えて、協調性や道徳観を併せ持ったものである。
科学はその行為の究極的、本来的な意味について何も答えない。
人は何を知るべきなのかという問いは、どんな社会が望ましいかということに繋がっている。
・「青春」は美しいか
人は何を知るべきなのかという問いは、どんな社会が望ましいかということに繋がっている。
・「青春」は美しいか
青春とは無垢なまでにものごとの意味を問うことである。
・「信じる者」は救われるか
他力本願ではなく自分を信じること、そのために悩み考えること。
・何のために「働く」のか
・何のために「働く」のか
人が働くという行為の一番底にあるものは、社会の中で自分の存在を認められ、生きていいという実感を持つこと。
・「変わらぬ愛」はあるか
愛のあり方は刻々と変わる。幸せの絶頂が続くことだけが愛ではなく、愛とは相互の問いかけに応えていこうとする意欲のこと。
・なぜ死んではいけないか
生きる力は個人の内面の充足、自我と心の問題に帰結する。相互承認でしか人は生きられない。
他者を承認してこそ自分も承認される、それまでまじめに悩みぬけ。
・老いて「最強」たれ
死を覚悟してまるごと引き受けよ、悩むことを経て恐いものがなくなる。いろんなことに挑戦したらいい。
ひとつひとつまとめたつもりですが、この本の内容は広くて深い。
何かのきっかけて「悩んだとき」にまた手に取る本になるでしょう。