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環境リスク学―不安の海の羅針盤/日本評論社
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「環境リスク学」不安の海の羅針盤  中西準子著 の読後感です。


これもメモとしておきます。


学者人生の中で、非常に苦労した人です。「ファクト(事実)へのこだわり」の実践で生きてこられた先生です。



・公害問題と環境問題は違う。

公害問題はリスクが非常に大きく誰の目にも明らかだが、影響範囲が小さく局地的。

環境問題はリスクが小さく、安全だが不安が残り、営業範囲は広い。


・リスク削減には政策評価が必要。

・多くの人がリスク評価をし、教育を受ける必要がある。そのための共通の書き方、計算の仕方が必要。


・「「思想派」と「事実派」とに仮に人を分けるとすれば、さしずめ私は「事実派」の末席をけがす人間だろう。思想を語る資格もないし、語る必要もないような気がする。時と場所を得た人が、知り得た事実を明らかにすれば、事実の意味するところはおのずから示されるからである。」


・「ファクト(事実)へのこだわり、これが大学での研究生活を支えた背骨のようなものです。それはたぶん、言葉への不信感、言葉の無力さ、思想というももへの強い不信感から来ていると思います。」


・自然科学の良い点は、仮説を立てて実験すれば、仮設の証明ができるということ。そこで得られた結果はファクトとして認定され、物事の真偽が評価できる。


・「自分自身が仕事上でぶつかった問題からは逃げないで、それだけはどんなことがあっても戦おうと思った」


・「私はファクトを出すことにこだわりました。多くの人にとってファクトと思えることを冷静に抜き出し、発表しなければならない。」


・「わが国ではリスク評価の歴史が浅いこと、リスク評価の結果に基づいて政策決定するという習慣が根づいていない。その違いを乗り越えるのはファクトである」


・「リスクとは、どうしても避けたいことが起きる確率のこと」「米国政府の見解はリスクを、良くない出来事が起きる可能性とそのよくない出来事の重大さ、の二つの要素の組み合わせである」


・「日本の反対運動とか市民運動には、自分たちが治める場合どうするかという発想がない。お上に逆らえないという歴史的なものもあるが考え方を変えていかないといけない」


・「自分たちでリスクを予測すれば、やたらと批判できないことがわかります。問題点も見えてくる。でも問題があってもリスクをすべて取り入れることはできない。」


「リスク予測を自分たちのものにすることは、責任を持って自分たちで社会を作っていくということにもつながるのです」


・リスクの三種の大きさとは

1.科学的に詰めて得られたリスクの大きさ(科学的評価リスク)

2.社会の意思決定で用いられるリスクの大きさ

3.国民が抱く不安としてのリスクの大きさ (これが必要以上に大きくなる場合もある)



先生は、思想的部分・対立する部分を徹底的に取り除いて事実を検証確認することにこだわってます。


一方、小さなリスクにみんなの関心が集まっていて、物事の本質を事実の積み重ねで検証しながら、

そのために必要なリスク評価論を多くの人が身につけて、本当に必要なリスク削減策に資源を回すことが

社会の発展につながる、という長い経験と実績に基づく氏の強い信念を感じました。