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他人が求めることやモノを提供することが結果的に自身の利益になる、という話のなかでこれは「社会契約説」ではないか、という質問を受けました。
懐かしく忘れていた言葉だったので。
社会契約説とは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の自由意志に基づく契約によって成立するという考え方」だそうです。
確かに、世の中は各個人の権利や欲求と義務との関係で成り立ってますからその考え方は直接的には正しいですね。個人と国家や個人個人との関係は、一方が利益を得る関係ではなく、折り合い・妥協によって不利益を補い、利益を分かち合う関係でないと一方的だと確かにいずれは破綻しますね。
あとこれに加える考え方としては、あれやこれや「見返りを求めない」ということが重要だと思います。だだし、国家や社会に対しては中長期的に全体の利益に反することをする動きがあるならば、あるいは個人の権利が一方的に侵されることになればそれに対しては立ち向かっていかないといけませんよね。これは正当な欲求だと思います。
足るを知り、謙虚に他人の良いところを学び、自分が持っているスキルや金銭を他人のために一方的でない程度に提供することはやはり良いことだと思います。
それが出来ないので時々立ち止まったり失敗したときに反省させられます。
「この世の中は自分が生きているのはすべて他人のお陰であることを分かっていながら忘てしまします。だから毎日思い出してます」たしかダライラマが仰ってたか。
他人が求めることやモノを提供することが結果的に自身の利益になる、という話のなかでこれは「社会契約説」ではないか、という質問を受けました。
懐かしく忘れていた言葉だったので。
社会契約説とは、「社会や国家は自由で平等な諸個人の自由意志に基づく契約によって成立するという考え方」だそうです。
確かに、世の中は各個人の権利や欲求と義務との関係で成り立ってますからその考え方は直接的には正しいですね。個人と国家や個人個人との関係は、一方が利益を得る関係ではなく、折り合い・妥協によって不利益を補い、利益を分かち合う関係でないと一方的だと確かにいずれは破綻しますね。
あとこれに加える考え方としては、あれやこれや「見返りを求めない」ということが重要だと思います。だだし、国家や社会に対しては中長期的に全体の利益に反することをする動きがあるならば、あるいは個人の権利が一方的に侵されることになればそれに対しては立ち向かっていかないといけませんよね。これは正当な欲求だと思います。
足るを知り、謙虚に他人の良いところを学び、自分が持っているスキルや金銭を他人のために一方的でない程度に提供することはやはり良いことだと思います。
それが出来ないので時々立ち止まったり失敗したときに反省させられます。
「この世の中は自分が生きているのはすべて他人のお陰であることを分かっていながら忘てしまします。だから毎日思い出してます」たしかダライラマが仰ってたか。