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高知の朝市で、フルーツトマトを買いました。

トマトってもともとは南米の痩せた土地で育った野菜。
恵まれた環境で育つよりも、厳しい環境で負けずに育った野菜はおいしく体にいいというイメージがあります。肥料をやるから早く育つとか味がよくなるとは必ずしも言えない場合もあると。
これは私たちに何らかの示唆を与えているのでしょうか?

さて、今日は今まで学んだことの中での一つの到達点はこれかな、という私見です。


人間が成功したり、幸せになるためにはどうすればよいかをいろいろ模索してきたわけですが、それをあえて一言で表すとすると、

「自分が持っているもの、ため込んでいるものを出し切る」
ということではないのか、ということであります。

人間は一人では生きていきません。日常生活も環境もすべて他人他者の影響によって成り立っていることを改めて認識させられます。
ということは、その恩恵を当たり前のごとく、常に体に取り込むだけではダメで
むしろ「出していく」ことで常に負債を返して返しまくらなければならないのではないか、と考えるようになりました。

考えてみると、
生きる元の呼吸法は「吸う」よりも「吐く」ことに重きを置きます。
お通じも一切溜めないようにすることも健康の秘訣です。
お金も得たらそれに応じた使い方をします。浪費はせずに。
知識でも経験でも、自分が持っていて他人がもっていないものには「与え合う」
しかもそれに対する見返りは強く求めないこと。

自分が生きている恩恵を常に返し続けることが自分と社会の健康や幸せに繋がるのではないか、ということであります。

恩と義理を貰うだけでは消化不良になるので常に「出していく」ことだと思います。
その実践や社会での実効についてはこれからも検証していこう、と思います。