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新首相になる
安倍晋三氏は日本を「美しい国」にしたいのだそうです。

そりゃ美しいものは多いほどいいし、そう思う人が多いほどいい国なのでしょう。
でも現実の社会はそうではありません。

権力者が自画自賛し評価する国や
ユートピアが逆ユートピアである実例(旧共産主義国→私めのブログ)を見ると

「美しい国」とは権力者にとって都合のいい国と
権力に反抗せずに言うことを聞く民衆

にしたいという危険性を阿倍氏は持っていないだろうか?
阿倍氏は教育改革に熱心だか、国力が低下する時は歴史的に教育の問題が問題になるときが多い。

私は社会とは
「公共性や常識の範囲内で多種多様な価値観を認め合う市民」

によって構成されなければならない、と思っております。

全体の方向性が歴史の針の逆に向かうことは無いと信じたいもの。

日本は歴史上、市民革命によって政治を変えたことがない国です。
武力集団か、外圧・敗戦によって社会がドラスティックに変わってきた国です。

中曽根元首相は「今世紀になってポピュリズム(大衆迎合主義)とナショナリズムが支配する時代に入った。」と言っています。

私が嫌いな日本人は、
「大勢順応主義的体質」であります。
いい事(=他者のためになる事)をやるのは結構なことですが、
弱いものイジメをし、強いものに迎合する。それを止めたいもの。

政治の力というのは社会全体の動きの中のほんの一部の動きであって
その長が変わったから身近な生活に大きな変化が起こるのも一部に過ぎないのだろうけれど。

見た目のソフトさの中身の怪しげさと胡散臭さがこの人にはないだろうか。
それが単に思い過ごしであって欲しいのです。
小泉路線の悪い部分を修正するほんのわずかな期待と極めて多くの不安。

あまり論理的でないけれども、阿倍「新総理」の感想です。