8/15
お盆なので朝はお墓参り。
そして風もほとんどなく暑い中ゴルフ。来月のコンペに合わせてまだまだ練習だ!
今日は「敗戦記念日」。個人的には戦争に「負けた」ことが戦後の歴史において前提として捉えた方がいいのかな、と思っております。
あと、原爆のところで「原爆投下が日本の降伏を早めた」というのはひょっとしたら間違いじゃないか、米国は日本の降伏時期を見計らいながらそれを意図的に遅らせ、原爆投下を実験する機会をつくりたかった、というのが歴史的事実ではないかということです。だから、原爆正当化も日本人としては容認し難いし、「原爆ナショナリズム」のごとく一方的な被害体験を訴えるだけでは世界的に説得力に乏しいといえます。
こうなると複雑な心境になるのですが、いずれにしても歴史の検証は必要で、やはり事実の積み重ねで大局的事実を押さえておくこと。そこから始めるべきでしょう。
話を戻しますが、
戦時中は「愛国心」や「日本独自の伝統」、「滅私奉公」を価値あるものとして尊重され、あるいは強制されたけれども、こういった「キーワードそのもの」は結果的には必要かつ大切なものですよね。ただこれが権力者にとって市民を「支配」することとして都合が良かった、それを国民市民に押し付け、大きな被害と不幸の連鎖を与えた反省が戦後の歴史だと思います。
安倍政権は「戦後レジュームからの脱却」をキーワードに政策を進めていますが一方、河野洋平衆議院議長は追悼の辞において戦後日本について、
「海外での武力行使を自ら禁じた、『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた」と安倍首相に「異論」を唱えています。
先に触れた三項目に対する私なりの認識を書いて本日の敗戦記念日に思うこととします。
「愛国心」 自由や民主主義を守ることを前提にすること。もちろん強制的であってはならない。だから本来権力側がこのことに触れること自体に問題がある。国家が誤った方向に向かないように市民が監視する「逆命利君」も必要。一方、市民にとってデメリットがあっても全体あるいは長期的に利益となるものについては協力すること。
「伝統」 守るべき伝統をそうでないものをハッキリとすること。また、日本の伝統が唯一特別なものであるかどうかは客観的事実から検証が必要。現実日本の伝統文化は中国・朝鮮半島の影響を受けたものが割合としては高い。中国は大航海時代までは常に世界の最先進国であったわけだから日本が影響を受け、学んだところを否定する必要はない。
「滅私奉公」 言葉自体は歴史的遺物にしたいところ。憲法上は「公共の福祉」。自分を犠牲にするというよりは社会や環境への貢献が必要。実際、自分のためにストレートにすればするほどうまくいかないことが社会の道理。
以上の三項目は強制であってはならない。従ってこの三項目は権力を持っている人社会的影響力が大きいひとにより大きい責任があって、まず彼らが他人どうこう言わず実践すべきところです。
偉い人に偉そうに言われることが、有難いと言って受け入れる人は少ないはずですから。
あまり考え方の整理になっていないかもしれませんが。おいおいさせていただきたく。
お盆なので朝はお墓参り。
そして風もほとんどなく暑い中ゴルフ。来月のコンペに合わせてまだまだ練習だ!
今日は「敗戦記念日」。個人的には戦争に「負けた」ことが戦後の歴史において前提として捉えた方がいいのかな、と思っております。
あと、原爆のところで「原爆投下が日本の降伏を早めた」というのはひょっとしたら間違いじゃないか、米国は日本の降伏時期を見計らいながらそれを意図的に遅らせ、原爆投下を実験する機会をつくりたかった、というのが歴史的事実ではないかということです。だから、原爆正当化も日本人としては容認し難いし、「原爆ナショナリズム」のごとく一方的な被害体験を訴えるだけでは世界的に説得力に乏しいといえます。
こうなると複雑な心境になるのですが、いずれにしても歴史の検証は必要で、やはり事実の積み重ねで大局的事実を押さえておくこと。そこから始めるべきでしょう。
話を戻しますが、
戦時中は「愛国心」や「日本独自の伝統」、「滅私奉公」を価値あるものとして尊重され、あるいは強制されたけれども、こういった「キーワードそのもの」は結果的には必要かつ大切なものですよね。ただこれが権力者にとって市民を「支配」することとして都合が良かった、それを国民市民に押し付け、大きな被害と不幸の連鎖を与えた反省が戦後の歴史だと思います。
安倍政権は「戦後レジュームからの脱却」をキーワードに政策を進めていますが一方、河野洋平衆議院議長は追悼の辞において戦後日本について、
「海外での武力行使を自ら禁じた、『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んできた」と安倍首相に「異論」を唱えています。
先に触れた三項目に対する私なりの認識を書いて本日の敗戦記念日に思うこととします。
「愛国心」 自由や民主主義を守ることを前提にすること。もちろん強制的であってはならない。だから本来権力側がこのことに触れること自体に問題がある。国家が誤った方向に向かないように市民が監視する「逆命利君」も必要。一方、市民にとってデメリットがあっても全体あるいは長期的に利益となるものについては協力すること。
「伝統」 守るべき伝統をそうでないものをハッキリとすること。また、日本の伝統が唯一特別なものであるかどうかは客観的事実から検証が必要。現実日本の伝統文化は中国・朝鮮半島の影響を受けたものが割合としては高い。中国は大航海時代までは常に世界の最先進国であったわけだから日本が影響を受け、学んだところを否定する必要はない。
「滅私奉公」 言葉自体は歴史的遺物にしたいところ。憲法上は「公共の福祉」。自分を犠牲にするというよりは社会や環境への貢献が必要。実際、自分のためにストレートにすればするほどうまくいかないことが社会の道理。
以上の三項目は強制であってはならない。従ってこの三項目は権力を持っている人社会的影響力が大きいひとにより大きい責任があって、まず彼らが他人どうこう言わず実践すべきところです。
偉い人に偉そうに言われることが、有難いと言って受け入れる人は少ないはずですから。
あまり考え方の整理になっていないかもしれませんが。おいおいさせていただきたく。