5/5
朝、お墓参り。
昼、高松にて知人と会う。とっても新鮮。
いろいろ勉強になりました。

今日は「こどもの日」。

この連休は結婚式やおめでた報告など関連の出来事があったので


以下のことは私自身の内面の中で一部表明してきたことであり、勝手な考えであることをお断りしておいて、出来れば人類の常識に従って生きてゆきたいですが。
周りの人々に勧めることを自分では実行してないわけですから自分勝手なものだ。


今、私は何故結婚したのかを考えています。私の優柔不断さが一人の人間を不幸にしたのではないかとね。
私は結婚してから子どもをつくることを事実上拒否していました。(かつての)妻と子どもをつくろうとの話さえしていなかったのです。子どもが嫌いというわけではありません。

理由があります。
子どもをつくるということは当然のことながら自分の遺伝子を残すという生物のなかで最も重要な本能的責務です。

しかし、私は出来ることなら優秀な遺伝子を残したい。だが自分は決して良い遺伝子をもっているわけでないことがほぼ明らかなので、先天的ハンディキャップを持つ可能性がある子どもをつくることは自分勝手で罪なことではないかと考えていました。

私は極めて不完全な人間です。むしろ親から一部を受け継いでいる劣悪な遺伝子をもっています。アレルギー、色弱など。

これは自分という枠を取り外すと人々が等しくもっている権利を脅かす「優生思想」ともゆうべき極めて問題のある考え方であることも分かっているつもりです。

人自身は望んで生まれたわけではありません。主体的意思は出生後のことなのですから。

両親には感謝していることを前提でもこれは事実です。

子どもをつくることが自分勝手なのか、つくらないことが自分勝手なことなのか。後者が正しいのは明らかなのですがまだ自分を納得させられていません。

答えは人に聞けばわかるでしょう。
自分で体感してみればわかるのでしょうね。