4/28

一般論で申し訳ないけれども、
「こうあるべきだ」というものは持つべきだろうけれど、
「こうしなければならない」とは限らないのではないか、と思っております。


それは、理想あるいは、目標あるいは、到達点と過程・方法論の違いで、
その過程と方法は各々の個性を生かすべきなのです。

よく人の議論はその方法論に固執しすぎて進展しないこともあるのですが、
これが「こうしなければならないしこうすべきだ」とは必ずしも限らないということです。

自分が正義と思っていても、全く逆の立場や考え方の人が思っている正義がある。
すなわち、ひとつの正義に対し、逆の方向に同じ質と量の正義が存在するかもしれないことを常に念頭においておいた方がよいのではないか、ということです。

人を納得させるのは、それに関わる他人がどう思うかでありますから、自分がどう思っているかは関係がない場合が多いのです。

だから議論は「こうあるべきだ」という目標や到達点をどのように設定するかに重点を置くべきで、その方法論についても「こうだ」というものを持ちながらも、他人が推奨する別の方法があるかもしれません。それは経験によって修正されていくべきなのでしょう。

そういうことになれば、他人は真っ向から自分の意見に反論してきても腹も立たないし、聞く耳を持つことが出来るようになる気がしてきます。手間を省かず方法論はたくさん持っておいたほうがいいわけですから。