8/6

今日はヒロシマの日。
毎年話題になりますけど。
原爆の悲惨さから核兵器廃絶を訴えることはヒロシマ・日本の立場から見れば正しい。
しかし、海外から見れば原爆は日本の降伏を早めて「犠牲を最小限にした」恩人である、との見方が多数派だといいます。
歴史的には命が最も大事という意見と命に代わる大切なものがある、という意見があります。

そう考えると、ヒロシマの立場は被害者としての悲惨な体験からその体験を二度と繰り返さないためにすべきことが日本人としてあるのだ、ということを改めて感じさせます。

ということは、歴史的大局から見て、あの戦争は日本は被害者だったのか?加害の歴史とその反撃を受けたヒロシマ・ナガサキはその裏返してあり、日本に被害を受けた立場の国や人々と分かり合えるのだろうかと考えるのです。

私たち日本人が外国人に対して、是非ともヒロシマ・ナガサキに来て事実を知ってください、と言うことは、ソウルで南京でパールハーバーに行って事実を知ってくださいと言われることと同義ではないかと。

歴史は何が大事かと言えば客観的事実を知ることが大事だと考えます。
客観的事実は非常に難しいのだけれど、単なる善悪で考えるのではなく
大局的事実を知っておくこと。
その意味で、広島も長崎も沖縄もソウルも南京もパールハーバーも機会があれば行きたいと思います。(国内三箇所は行ったけど)

訴えたいこと、国家としてのそれぞれの立場をどう理解し、どう考えるか。
客観的事実を多方面から知っておくこと、その状況の中で自分なりの見解を持つべきでしょう。別の事実を知ればその内容を勘案して常に修正していくべきなのです。

「ひとつの正義に対して、逆の方向に等量等質の正義が必ず存在する」